美術系の大学を出て、学生時代から没頭していたバンドの道へ進んだTomikeさん。
やりたいことが見つかると都度振り切る人生だったと言います。しかし、絵を描くことや音楽活動など「自分がやりたいことが社会の役に立たないかもしれない」となかなか折り合いがつかず苦しみます。
一般的なキャリア形成が思い描けないまま進んだ先にあったのは、写真でした。
今回はそんなTomikeさんの副業フォトグラファーのキャリアをお届けします。
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目次
美術大学を卒業し、バンドの道へ。

ー絵を描くのがお好きだそうですね。
絵を描くことは、昔から好きでした。漫画などを読むようになる前の幼稚園の頃から、買ってもらった画用紙帳や自由帳などに好き勝手に絵を描いていたのを覚えています。
小学校から中学卒業までは、『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明監督の中学時代の恩師で、画家の「戸野千空」氏に師事。宇部高校美術部に所属後、宇部美術研究所に通い本格的に美術の道を志し、東京の美術系の国立大学へ現役で進学。
ここまで順風満帆に思えますが、大学へ進む頃には「自分には絵の才能がない」と痛感し、挫折していました。幸い、広い分野の中で自由にゼミが選べる大学だったので、絵画ではなく美術史のゼミに所属し、学芸員(キュレーター)に方針転換をしました。
しかし、学芸員も新卒採用・中途採用ともに全国で年間数人程度と非常に狭き門。働き口が殆どなく、資格取得まではしたものの現実的な進路とは思えませんでした。
「自分は社会不適合者である」と思い詰めながらろくに就活せず院進を考えていた頃、中学から趣味で続けていた音楽の分野でバンド所属の話がきました。
大学ではバンドサークルに所属し音楽活動に没頭していたので、その話に飛びつきバンド活動を開始したのです。
思いがけず写真に出会う。

ー写真にはそのころ出会ったとか?
そうですね。ちょうど音楽活動の準備を進めていた頃、自分の中で一番進路に迷っていた時期に、写真に出会いました。
写真をやる人の多くは、写真家の作品に感銘を受けて始めた方も多いかと思いますが、自分の場合は少し特殊で。写真という表現に出会うまで写真を積極的に撮ったこともなければ、写真家の名前もほとんど知らない状態で、正直写真に対する興味は一切なかったのです。
そのため、写真との出会いは「思いがけず出会ってしまった」という表現が最もしっくりきます。
バンド所属の話がきた頃、大学での美術教育に関連する授業を友人の付き合いで履修したのですが、その授業で期末試験として出された課題をきっかけに、写真の面白さに目覚めることになりました。
携帯電話やデジタルカメラの画質が今ほど高くなかった時代のこと、すぐに画質面での限界を感じ、程なくして当時貯めていた500円玉貯金(計10万円分)のすべてをはたいて、最初のデジタル一眼レフ「Nikon D80 AF-S DX VR 18-200 Gレンズキット」を買いました。
しかし、この頃はまだ写真の道に進みたいということは一切考えておらず、あくまでも主軸は音楽活動でしたし、腕も全然からきしで知識もありません。音楽の片手間に趣味としてやっていたに過ぎなかったのです。
ーどのような被写体を撮影していましたか?
先述の通り、最初は自分の周りにいる知り合いのアーティスト、ミュージシャンを中心に、ライブや簡単なオフショットなどを撮影していました。
カメラに慣れてくると、レコーディングスタジオなどでのアーティスト写真の撮影や、CDジャケット用の撮影も頼まれるようになりました。しかし、この当時はどのような撮影でも基本無料で引き受けていて、ライブに至っては「お客さんとしてお金を払って動員の足しになりつつ、撮影する」ことも多かったです。
収益のことなど考えてませんでしたので、バンドに貢献できればなんでもよかった。そういう時代のことでした。
この頃は音楽活動がメインだったので、自分のバンドのアーティスト写真も、メンバーである僕自身が三脚で固定してセルフで撮影していました。自分のバンド活動を最優先にしつつ、バイトの合間を縫って趣味で撮影活動をしているような状態だったのです。
アーティストの最高の瞬間を撮り続ける。

ー撮影していて最高の瞬間はどんな時ですか?
撮影していて最高の瞬間は、「被写体にとって最高に輝く瞬間を撮ることができた時」です。
これは、ミュージシャンに限らず、たとえば結婚式の入場シーンや、お子さんの初めてのお宮参りの時なども該当します。どんな被写体かに関係なく、「被写体が一番見せたいと思う姿を見せる場」の写真をしっかり残せた時が、カメラマンとしての本懐といえる最も嬉しい瞬間です。
自分がメインに撮っているのはミュージシャンやアーティストで、沢山のお客様の前で自信を持って演奏をしている瞬間こそもっとも彼らが輝く瞬間ですから、そうした瞬間にばっちりいい絵が撮れた時が一番「最高!」と心から感じますね。
仕事相手でありファンでもある、大好きなミュージシャンの最高の瞬間を撮り続けることこそ、自分の使命です。その場にしかない瞬間の記録をしっかりと残し、アーティストに還元すること。これを、僕にしかできないかけがえのない仕事として、今も続けています。
被写体の人生を写真で彩ることができた時、写真を残すことで被写体の人生や仕事に貢献できた時にこそ、僕自身の人生もまた彩られる。そんな感覚があります。
ライブ撮影に合っていると思ったのはCanon。

ー今使っているカメラとレンズを教えてください。
今メインで使用しているカメラボディは、「Canon EOS R」と、「Canon EOS 5D Mark III」です。

EOS R ボディ
今のところ、一眼レフとミラーレスの2台持ちが一番しっくりときています。ちなみに先ほど、最初に買ったのはNikonと答えましたが、ライブを撮るようになって2年ほどして、Canonに乗り換えました。
Canonのカメラは、「現実よりも色鮮やかに映る」とよく言われます。特に人工的な照明を沢山使うライブやコンサートの場では、色的にCanonが一番合っている、映えると感じたのです。
このミラーレス全盛の時代に今もMark-iiiを使うのは、一眼レフならではの光学ファインダーでリアルに見たままの景色を大切に撮れる気がすることと、特に望遠レンズを使う際にRFのレンズよりもEFレンズの方が扱いやすく、かつ自分が望む絵が撮れることが大きな理由です。
特に70-200mmはRFよりEFの方が、フレアが抑制され過ぎずライブの写真としては味わい深い絵が撮れます。フレアやゴーストが抑えられすぎるRFやEFiii型よりも、ある程度フレアが出てしまうEFii型を好んで使うのもそれが大きく影響しています。
レンズは、小規模なライブハウスやポートレート撮影などでは幅広い画角で撮れる「EF24-105mm F4L IS USM」をメインに、撒き餌の単焦点「EF50mm F1.8 STM」をたまに使います。

RF24-105mm F4L IS USM

EF50mm F1.8 STM
大規模なライブハウスやホールでは、「EF70-200mm F2.8L IS II USM」でアップを狙いつつ、超広角の「RF15-35mm F2.8 L IS USM」で引きの絵を抑えます。

EF70-200mm F2.8L IS II USM

RF15-35mm F2.8 L IS USM
たまにレンタルサービスなどを利用し必要に応じてレンズを増やしますが、基本はこの4本がメインでしょうか。
バンド活動を辞め、就職。副業で写真を始める。

ーいつから対価をいただいて撮るようになったのでしょうか?
ちゃんと対価をいただいて撮るようになったのは、比較的近年に入ってからです。昔、特に駆け出しの頃はお金をもらえないのが当たり前でしたが、続けていくうちにだんだんお金をいただけるようになってきました。
大学卒業後は、バンドも大して売れないまま脱退をして音楽活動を休止。程なくして、派遣社員を経てIT業界の大企業へ就職。
会社員になってからもずっと音楽シーンで写真を撮り続けていましたが、本業の方で会社にいた頃は、お金をもらえない撮影の方が多かったです。
しかし、会社員としての社会経験、部下を率いた管理職経験を経て、お金をいただくことの大切さにも気づき、予算感もわかるようになりました。「お金をいただくということは、相応の責任感を担保することである」と、会社員としての経験が気づかせてくれたのです。
「自分は社会不適合者である」とずっと思っていました。「絵画や創作や音楽といった、お金にならないことにしか本気になれない自分は、社会に向いていない」。今までの人生の大半は、そんなふうに社会との折り合いの付け方についてずっと悩んでいました。
ですが、撮影を通してお金をいただけるようになってから、自分なりに、自分がやりたいことと社会との折り合いがつけられるようになった気がします。「写真で被写体に貢献することが、巡り巡って社会に貢献することにもつながっている」。社会に生きる自分の存在理由をようやく見つけられたのです。
ー本業と副業のバランスはどのように取っていますか?撮影の対価についても教えてください。
会社員時代は7:3くらいで本業が優先でした。
繁忙期などで残業が入ることがわかっている日は撮影を断るなどもしていました。
現在も、Webライターを本業としながら副業として撮影を続けていますが、現在では本業のWebライターと副業の撮影が6:4くらいになっており、意識としては「どちらも本業」と言えるくらいになってきています。
ちなみに、Webライターは撮影と違って時間の融通がきく仕事なので、撮影とのバランスは適正に取れています。
撮影の対価は、通常ブッキング(25分から30分)のライブで5,000円〜15,000円、ワンマンライブやイベント通しの撮影で1回2万円〜4万円ほどが相場です。カット数に制限は設けず、レタッチも込みでやっています。
インディーズアーティストかメジャーアーティストか、バンドかソロか、会場規模の大きさなどを加味して都度見積もりを出し、予算感を伺いながら対価は細かく変動させていますが、大体こんな感じです。
フリーランスとして独立。

ーどのようにしてフリーランスになったのでしょうか?
「業務量に耐えきれず会社を辞めてしまったため、フリーランスにならざるを得なかった」という感じでしょうか。
会社員時代は、管理職に出世するなど高い評価もいただけていました。
しかし、長時間労働がたたって鬱の症状がひどくなり、休職期間をいただきましたが、結局1ヶ月ほどで退職。転職を考える余裕すらなく、逃げるように会社を辞めてしまいました。
そうした時に、バンドマンの先輩がWebライターで独立した話をSNSで見て、自由な時間を使って一緒に飲みに行って。僕が文章を書けることを知っていた先輩から、再就職せず独立してWebライターをやってみてはどうかとアドバイスを受けました。
幸い、先輩の元でいくつか仕事を回してもらった後、自分でもすぐに直接契約が複数取れるようになったので、Webライターをメインの収入源にでき、そのまま独立してしまった感じです。
現在も音楽シーンでの撮影活動は続けつつ、Webライターとカメラマンの2足のわらじを履いています。
ー今後の展望について教えて下さい。
今後の展望は、2つあります。
体力の続く限り「アーティストの最高の瞬間をこれからも撮り続けること」。
そして「撮影者として、社会人として、できる限り自由であり続けること」。
これからも好きなアーティストの最高の瞬間だけを追い続けていきたい。そして、撮影を通してこれからもアーティストに貢献していきたい。
それと併せて、ただ撮るだけで満足していた今までと違い、カメラマンとして活躍する自分の姿を、客観的に大きな実績として見せなければならないなと思っています。
これまでの実績で言うと、全国放映のテレビ番組『激レアさんを連れてきた』で、2020年と2023年の2回にわたり写真を使っていただきました。今年(2023年)10月にはラフォーレ原宿で自分の展示が1ヶ月に渡り展示されることも決まりました。
が、それでも実績としては決して強くはありません。
1つ1つの撮影に本気で取り組むことで誰もが認めるような実績を積み、真の意味で自分自身と社会との折り合いもしっかりつけられるようになっていければ。そう思っています。
ちなみに、今後カメラマンのみを本業として独立できれば理想ですが、あえてパラレルキャリアを貫くのもありかなと思っています。
コロナ禍でライブ撮影が年間通してほぼゼロになった時も、場所や環境に左右されないWebライターをやっていたことで無事に生き延びられました。
終身雇用が崩壊し転職が当たり前になり、副業も柔軟に認められてきている今だからこそ、カメラマンとしての仕事を増やしつつ、Webライターのキャリアも柔軟に活かしていきたいです。
撮影者として、社会人として自由であるために。
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