黒い海が、わたしの大切な人たちに押し寄せてくる。黒い海には人のような生き物が無数にいて、わたしの大切な人たちの腕や足に絡みつき、黒い海の奥深くへ連れ去ろうとせんばかりだ。わたしは遠いところで、泣きながら「やめて、連れて行かないで」と叫んでいるが、人のような生き物は口を開けたまま、その口からはさまざまなサイレンの音が流れるばかりである。わたしの言うことなど、聞き入れる様子もない。
そして、その無数にいる人のような生き物もまた、黒い海に苦しんでいる。

はあ、はあ、はあ…
「久しぶりにこの夢を見ちゃった」
起きてすぐさま、身体中汗をかいていることに気づきますが、これはこの列車の暖房が効きすぎていることを意味していません。呼吸は荒く、吐く息よりも吸う息の方が多いように感じますが、それはこの列車の酸素が薄いわけではありません。向かいに座っているお婆さんは、わたしを心配そうに見つめます。引きつった笑みを返してみせて、しのぐその距離、およそ50mといったところでしょうか。
高鳴る心臓の音は、ヨーロッパ特有の古い客車列車の金属音にわずかに打ち勝っているように思います。“わたしは生きている”。地獄のような夢を見たおかげで、皮肉にも、わたしは自身の“生”を感じるのでした。

2024年1月1日、午後4時10分。日本の北陸地方能登半島で大きな地震があり、それによる津波が発生したということを、数時間前にドイツ人の友だちからチャットがきたことによって知りました。旅の途中だったわたしは、目的地へ向かうことをやめて、すぐさま近くのカフェに入ります。カプチーノを注文してからのことは、あまりよく覚えていません。手当たり次第、家族や親戚・友だちに安否確認の連絡をしたことは確かですが、これは、およそ反射的な行動です。12年前のあの出来事によって生まれた、心の奥底からくる“恐怖”のアラートが、12年の時を経て、機能したのです。
「津波警報出てるって、ちゃんと逃げてる?無事?どうしてすぐに連絡くれなかったの?」いま考えれば、もう少し言葉を選ぶことはできたと思います。家族も親戚も友だちも、おおよそは東北地方に住んでいますし、いまは津波の心配をするような海辺に住んでいるわけでもありません。地震があってからもう半日が経っていますが、家族がわたしに連絡をしなかったのは、きっとわたしに心配をかけさせないためでしょう。特に両親は、“地震”“津波”といったキーワードには、とても気を遣ってくれていました。その言葉がわたしにどんな影響を与えるのかを、一番よく理解しているからです。結局、わたしが連絡を取った人たちは、みな無事でした。わたしの心の奥底にある“恐怖”のアラートは、機能しているようにみえて、何かが故障しているのだと思います。
「旅を、中断しよう」
そうして飛び乗った、わたしの住む街の方面へと向かう列車。そこでわたしは、久しぶりに、あの恐ろしい夢を見ることとなります。

“死”
誰もが隣り合わせに持っているこの事象・観念。身近でありながら、少なくともわたしにとっては、理解することは容易ではないことのひとつ。しかしひとつ確かなことは、わたしは“死”を恐れているということです。それは、さっきうなされながら見ていた夢が、如実に物語っています。
わたしが身知っている人はみな無事だったにも関わらず、あんなに大好きな“旅”を中断しようと考えたのは、奇しくも、“旅”が“死”に対する恐怖を助長させる側面があると、気づいたからにほかなりません。これは誰にも当てはまることだとは思いませんが、これまでのわたしの生きようでは、そうならざるを得ないのだと思います。
ひとつに、わたしが田舎者であることが関係しています。田舎者のわたしは、良くも悪くも“村社会”の中で生きてきました。近所の誰かがさくらんぼの収穫をするといえば手伝いました(手伝わなければならなかった)し、町の長老にはちゃんと挨拶をしないと怒られました。幼い頃に隣町から引っ越してきた時、はじめはこの町に受け入れられていなかった記憶があります。
さて、それが良いかどうかはともかく、わたしはいま、この田舎町特有の“村社会”という構造に依存している状態にあります。旅をするということは、故郷、つまりこの田舎町(村社会)を離れることを意味しますが、親しみの程度はともかく、近所のじじばばや公園で遊んでくれるお兄さん・お姉さんのいない旅の“孤独さ”に、わたしは寂しさを感じているのです。悪くいえば「人と繋がることに重きをおいて生きてきたわたしという人間の末路」と表現できるでしょうか。旅の途中で出会う人々との交流は、そんな寂しさを埋めてくれるものであり、だからこそここまで旅を好きになれました。しかし今回のように、過去のトラウマに基づく“恐怖”が呼び起こされた場合、旅は孤独さを助長させ、故郷を、近所のじじばばばを、無意識に求めてしまうものに変わってしまうのでした。

旅を中断して、列車に揺られることおよそ2時間。あの夢を見てからしばらく経ち、夢のせいで身体中に起きていた異変もある程度はおさまりましたが、しかしわたしの思考は、やはり良くないことであふれています。そう、この長距離移動もまた、“死”に対する恐怖を助長させているのです。長距離移動は旅の醍醐味であると、きっと多くの人がそう答えるでしょう。しかし実際に長距離移動をしている時、はじめは目をキラキラと輝かせて車窓からの景色を見るも、旅の疲れもあるのか、ただただぼうっと過ごす時間が増えていきます。しまいには、いろいろなことを考え始めてしまって。長距離移動は、わたしの思考を啄(ついば)む、動く檻。わたしにとってこのメタファーは、やはり過去のトラウマに基づく“恐怖”によって、色濃く表されています。幸い、乗り換えの駅はもうすぐ。お願いだから、これ以上わたしを苦しめないで。

乗り換えの駅に着いて、状況は一変します。ホームを照らす優しい夕陽に、わたしの眼差しは、堪えることができなかったのです。6番線ホームの中腹にあふれる、涙。まるで天気雨。この夕陽は、12年前、強く生きよう、立ち直ろうと決意した時に見たあの夕陽に、そっくりだったからです。
“東日本大震災”
わたしから大切なものを多く奪い、わたしの心の奥底に“死の恐怖”を埋め込んだ、大災害。このまま旅をやめていいのか、過去のトラウマから逃げ続けていいのか。あふれる涙の一粒一粒に、想いのかけらが詰まっています。
ホームに立ち尽くしていると、先ほど列車で向かいの席に座っていたお婆さんが、わたしの横を通りすぎていきました。しばらくしてこちらを振り返り、再び、心配そうにこちらを見つめています。わたしもまた、笑みで返します。涙まじりの笑みではありますが、さっきみたいな、引きつった笑みではないではないはずです。お婆さんは、すぐにあちら側を向いて、去っていきました。さて、わたしは。
12分後に、わたしの住む街へ向かう列車が発車します。その5分後には、元々の旅の目的地へと向かう列車がやってきます。3番線ホームか、1番線ホームか。わたしはこれから、どう生きて、どう“死”と向き合っていくのか。

2024年1月に発生した能登半島地震で
被害に遭われた皆様・関係者の方々へ
心よりお見舞い申し上げます。
本記事には一部センシティブな内容・表現を含んでいる可能性がございますが、
ありあ氏自身が2011年の東日本大震災の当事者であることを踏まえ、
クリエイターの意向を尊重し、
原文のまま掲載しております。
一日も早い復興復旧を、
心よりお祈り申し上げます。
MARSH編集部
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