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田舎者写真日記【第四回:わたしの住むこの田舎町には、AIがあります】

「渡辺さんが写真を撮る理由って、なんですか。」

桜の蕾もびっくりするような、“平年よりも〇〇度気温が高く”なんてきっとニュース番組で言っているでしょう、3月のある日のこと。
わたしは万年筆とメモ帳を少し固く握りしめながら、近所に住む渡辺さんにそんな質問を投げかけました。

「そんなごど考えだこともねな」
県道のガードレール下の草取りをしていた渡辺さんは、一瞬手を止めてそう答えてくれましたが、迷いなく草取りの作業へ戻るその姿を見るにつけ、確かにきっと、考えたことがないのでしょう。そもそもわたしは、渡辺さんが普段写真を撮るかどうかすら、知りません。

でもその答えを聞いて困った表情を見せるわたしに、申し訳なさそうに「あとで見返すのが楽しいがらだべや」なんて言ってくれましたから、わたしは彼に礼を言って、インクの切れかかった万年筆のペン先をメモ帳に滑らせるのでした。


「あなたが写真を撮る理由って、なんですか。」

わたしは最近、この小さな田舎町に住む人々に、会うたび会うたびそのような質問を投げかけています。

「あなたが写真を撮る理由って、なんですか。」

いきなりそんな不躾な質問を投げかけられたら、都会といふ場所では、わたしはおそらく不審者となっていたのかもしれません。しかし幸いにも、わたしが写真あるいはカメラを好いているということはこの町の住民にはとうに知られていましたから、春風のように勝手に吹いては立ち去るような、まあそんな質問に過ぎないのです。

実際今日だって、そう。行き交う人々に写真を撮る理由を聞いたって、みなの関心ごとといえば、およそ新緑の候に萌ゆる田畑のことでしたから。

さて、お昼すぎのことです。ちょうど近くの喫茶店での小休憩を終える間際に、カウンターで新聞片手にウインナーコーヒーを飲む佐々木さんに、こんなことを聞かれました。
「どうしてそんな質問してまわってんだ。」

とても良い質問です。ええ、とっても。

数ヶ月前から、AIの生成する“画像”についての話題を、SNSやニュースを通して絶えず目にするようになりました。これだけひっきりなしにAIについての情報が流れてくると、写真を撮り始めて1年ちょっとのわたしだって、一丁前に気にするわけです。

要するに、AIが写真家の仕事を奪うとか、カメラなんてなくても、AIがそれっぽい画像を作ってくれるとか、そんな感じ。写真を撮ってその写真をSNSに投稿する方々の多くが(少なくともわたしのフォローする範囲では)、AIと写真の関係性や未来に対して、焦りや不安のような感情を抱いているようにみえました。

「そんなことがあって、だから最近、わたし自身のことがよくわかんなくなっちゃって。なんのために写真を撮ってるんだろう、とか、わたしにとって写真とAIの関係性ってなんだろう、とか。」

「だから近所のみんなに、聞いて回ってるんです。みなさんはどうして写真を撮ってるんですか?って。何かを考えるきっかけになれば良いと思ったんですけど、甘いですかね・・・」

わたしが最後まで話し終えたところで、佐々木さんは新聞を閉じて、ウインナーコーヒーをひとくち。上くちびるにちょこっとクリームを残すなどして、わたしを見ます。

「AIってのは、よく分かんねえけど、便利なんだろうなあ。でも、俺が死んだときの遺影は、そんな、俺のことをよく知りもしねえやつに撮られたくはないね。撮ってもらいたいやつに、撮ってもらう。」

わたしはそのあと佐々木さんになんて返したのか、よく覚えていません。おそらく何も返していないのですが、その時佐々木さんの言ったことはメモ帳に残っていて、ちょっと強めの下線が引かれています。

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この記事を書いた人

写真家、文筆家。東北の田舎町出身。

ドイツの大学で西洋美術史を学んでいる。
2021年に祖父の形見としてフィルムカメラを譲り受けて以来、フィルム写真の魅力に取り憑かれてしまう。「青春」や「日常」をテーマとしつつも、様々なジャンルの写真に挑戦し、絶賛成長中。

また、幼少期から書いている日記を、SNSで毎日発信している。