わたしがカメラを手にして写真を撮ることができるようになったのは、実はそんなに昔のことではありません。フィルムカメラをはじめて手にしたのが2021年の夏ですから、むしろ最近のことと言えるのかもしれません。それまでのわたしは、写真が嫌いでした。

よくある話です。
11年前、2011年3月11日。
晴れでも雨でもないその日に何も起こらなければ、
きっとわたしは、その日について振り返ることも、こうして語ることもなかったでしょう。
神さまがこの草木生い茂る大地のワイングラスを嗜めるように揺らし、
海原のみなもを薬指でちょんと波紋を立たせるだけで、
わたしたち人間は、その存在のちっぽけさを知ることになったわけです。
ええ、そんなに比喩的な、あるいは詩的な表現をするようなものではないのかもしれません。
東日本大震災。
わたしは、自身のそばにいた大切な人や物事を、いくつも失いました。


午後2時46分。分単位で時刻を記憶するという行為は、わたしのそれまでの短い人生で初めての出来事です。
電気も水道も停まってしまった家の和室で、家族と雑魚寝。
台所から玄関へと繋がる廊下には、シャンデリアや花瓶のガラスが飛び散ったまま。
お父さんのスマホからは、震災と津波に関するニュースがひっきりなしに流れていました。
ろうそくの灯りをとおして観るそのニュース映像は、当時世界がおよそ東北地方だけで構成されていたわたしの脳には、あまりにも残酷に映ったことを覚えています。
深夜、サイレンと緊急地震速報の鳴りやまない田舎町。
ろうそくの灯りがいつの間にか消えていたのは、もしかすると、わたしの涙のせいかもしれません。

それからまもなくして、わたしが映像や写真を嫌いになったのは言うまでもありません。
復興特集として流れるドキュメンタリー番組の映像も、町の美術館で開催された震災関連の写真展に飾られる写真も、ただただわたしの涙を枯らすだけなのですから。
「画像」の持つ力やその残酷さは、東北の小さな田舎町で育ったわたしには、大きすぎるのでした。
いま考えるともったいないなと思うのですが、
以降わたしのiPhoneには、それほど多くの写真が保存されることはありません。
256GBもある容量のほとんどは空のまま。それは当時のわたしの、心の空虚さを表していたようにも感じます。
とにかく、わたしは写真や映像が嫌いでした。



それから10年が経った、2021年の夏。
お盆の折におばあちゃんちに行った際に、わたしは1台のフィルムカメラと出会います。
亡くなったおじいちゃんが愛用していたというそのカメラを棚の奥から見つけてきたわたしは、その見た目の可愛さから、食いつき気味におばあちゃんに質問攻めをしました。
神棚の隣にあるお父さんの結婚式の写真や、アルバムに貼られたおばあちゃんの笑顔の写真も、すべてこのカメラで撮ったのだそう。
使い方も分からないし、それに、写真も嫌いだし。
でもそれにも増して。
おじいちゃんが使っていたというだけで、カメラのファインダーをのぞいておじいちゃんの匂いがふわっと香るだけで、嫌いな写真と向きあおうと決心するには、十分でした。


それからのわたしは、たくさん、それはもうたくさんの写真を撮りました。
震災に関する写真や映像を見ても物事を前向きに考えられるようになるくらいには、
わたしから多くを奪ったはずの海の、その海のきらきらを「みなもの妖精」なんて呼んでカメラを向けるくらいには、写真のことを好いてしまったのです。





