写真家アラーキーとその奥様である荒木陽子さんの愛の軌跡を辿るため、陽子さんの著書『愛情生活』をもとに二人が訪れた場所へ赴き、写真コラムを綴るこの企画。
(この連載の細かな企画内容については#1をご覧になっていただけますと幸いです。)

夫婦間で大切なことの一つとして、陽子さんは“パートナーの体臭が好きなこと”を挙げられていた。
陽子さんはアラーキーの匂いを嗅ぐと、心が柔らかくほぐされ甘酸っぱいような気持ちになり、心身ともに癒されるそうだ。
著書の中でアラーキーのワキガ臭が大好きだと言い、更にはアラーキーが用を足したあとのトイレの臭いに一種の懐かしささえ感じてしまうと綴っている。
赤の他人であったら不快に感じてしまう可能性があるにも関わらず、それらの香りを心地良いと思うのにはお互い下町育ちだという幼馴染的感覚があるからでは、と考察されていた。
下町育ちの人間の香りが好きだ、という訳ではなく、要は似た境遇で育った故にどこか共通感覚や共通言語のようなものがあり、それが心地良いということらしい。
お二人が月島の勝鬨橋から隅田川を眺めたとき、言葉は交わさずともセンチメンタルで幸せな気持ちになり、海外やどこか特別なところへ行かなくても、下町である隅田川を眺めるだけで想いを馳せ旅をしたような感覚になったそうだ。
そうした共通感覚をパートナーと互いに持ち合わせていると、不思議と好きな食べ物や心地良いと感じる香り、もしかしたら顔や体つきまで似てくるのかもしれない。
私が育った東京都日野市にも、多摩川の下流である浅川という川が流れている。
中学生の頃は川沿いがマラソン大会のコースになっていて、学校帰りに同級生たちと河原でだべったり、休みの日には花火やバーベキューをして遊んでいた。
そのように昔から川には馴染みのある私も、お二人が散歩したであろう月島・勝鬨橋へ足を運んだ。





月島駅から勝鬨橋を目指し、もんじゃストリートを歩く。
情緒を感じさせる古き良きお店が多く並んでいる。
旅先で趣があるなと思うとき、改めて自分は余所者なのだということを強く感じる。
先日仕事で香港へいく機会があり、街を歩いた。
自分のイメージしていた香港とは少しレトロで古めかしい建物が多く、夜はネオン看板で光り輝いているというものだった。
しかし実際の香港は私が想像していたよりも遥かに近代化が進み、ビルが多く建ち並ぶ綺麗な街並みだった。
その街並みを見て思わず「あまり趣がないな」と思ってしまった自分に気付き、とても傲慢だと思った。
余所者の立場だと、旅先での店は古くて少し汚いぐらいのお店が良さそうだと感じてしまう。
もちろん品質が良いからこそ、その長い年月お客さん達に愛されお店が存続出来ている訳だけれど、もし私がその旅先の現地に住んでいるとしたら、モダンでお洒落なお店が出来たらそれはそれでとても嬉しいし、その店へも足を運んでいると思う。
古くて美味くて雰囲気の良い店ばかりが良い、という感覚は余所者の傲慢な要求でもあるけれど、歴史のある店や街並みが長く残って欲しいと思うのも事実で、改めて街歩きの面白さを感じた。
それと同時に、街それぞれの良さを残すこと、観光地として人を呼ぶこと、住みやすいこと、安全であること、それらを共存させていく難しさを考えさせられた。
食器も売っているお茶屋さんでお皿を1枚と、パン屋さんでクロワッサンを購入した。




勝鬨橋は塗装工事中で、大部分を木枠で覆われていた。
本来の姿を見ることが出来なかったものの、期間限定の姿を見ることが出来てラッキーだった、と思うことにした。
川沿いを少し歩くと、影が長いことに気が付く。
冬至を迎え、昼間が少しずつ長くなっているはずだけれど、まだまだ太陽は低い。
昔読んだ養老孟司さんの本に、「感性というのは感情の種類ではなく差異に気が付く能力のことじゃないか」というような事が書かれていて、目から鱗が落ちたことを思い出す。
それは芸術作品や他者とのコミュニケーションに限った話ではなく、小さな頃遊んでいた川で蛍が見られなくなっただとか、そういった環境の変化でも良い。
その本を読んだとき、季節の変化や、周りにいる大切な人達の感情の変化に気が付くことのできる感性をもった人間でありたい、と思った。




ベンチに腰をかけ、さっき買ったクロワッサンを食べる。
流れる水を見ていると心が落ち着く。
海でも滝でも、なんなら小さな水槽の水でも良いかもしれない。
不思議と水辺には人が集まるように思う。
この隅田川にも私と同じようにベンチに腰掛けている人、犬の散歩をする人、花の水やりをしている人、昼食をとる人など、様々な人達がそれぞれの時間を過ごしていた。
なにかしらの時間を過ごすための口実がそこには沢山あるような気がする。
京都の鴨川や遥か遠くにあるパリのセーヌ川でも、きっと荒木夫妻と同じように穏やかな時間を過ごしている人々がいるのだろうな、と思った。





著者紹介

髙木美佑(たかきみゆ)
1991年生まれ、東京都在住。 日本大学芸術学部写真学科卒業。セルフポートレートや自己の体験を中心に作品制作を行う。 2020年12月に初の作品集『きっと誰も好きじゃない。』を刊行。
■WEB
https://www.instagram.com/miyu.takaki/
髙木美佑さん連載コラム『センチメンタルなひとり旅』


















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