
戦後、原爆により焼け野原となった場所で空腹をなんとか凌ぐために、キャベツと米軍配給の小麦粉、そして広島で比較的手に入りやすかったという鉄板を利用して作ったのがお好み焼きの始まりだ。戦争や爆撃により未亡人となった女性たちが必死で生きていくために覚悟を決めて屋号を「xxちゃん」と自分の名前に変え、改装した自宅でお好み焼き屋として再スタートしたという。この屋号は別れ別れになった家族に「無事に帰ってきて焼け野原の中でも私の名前を見つけて欲しい」という願いから生まれたものだという説もある。その願いが届いたのか届かなかったのか、今はもう分からないけれど、その成り立ちも、具材も調理器具の鉄も、調理を担った人々や店の名もすべてに戦争が大きく絡む、少し特別なソウルフードだ。
外様の私にとって縁遠い料理もそんな歴史を知ることで、「美味しいけど違いが分からん!」などと切って捨てることはできなくなった。ヘラで直接食べるのも少し慣れずヤケドしてしまったけれど、これも致し方ない。受け入れよう!ちょっと食べづらいけど。
広島には多くの豊かな食文化があったのだろうし、戦争がなければ失われずにすんだ料理もあったことだろう。お好み焼き屋はチェーン店がほとんどなく、個人の業態がメイン。それ故にそれぞれのお店一軒一軒が自分の物語を持つ。歳月を経て子や孫に引き継がれるものもあれば、失われてしまうものもあるだろう。
地元の人達のお気に入りの店は広島の人が自らの故郷に帰る聖地巡礼だ。もしかすると自分の家族や友人との思い出もそこには存在して、自ら語り手となりながら、この場所だった、この味だったとゆっくり答え合わせするように噛み締める姿が目に浮かぶ。その店とそこで紡がれる物語に自分を委ねるのだ。
物語の埒外の人間には分からないはずである。

正直、事前の旅の下調べ段階では、「広島は大きな街のわりに、観光はあんまりすることがないな」とぼんやり感じていた。そうじゃない。市内で戦前に観光地足り得た場所は一度すべて失われてしまったのだ。授業やテレビ番組で繰り返し見聞きしていた話ですら、実際に訪れて初めてその実感が湧くこともある。
人は知らないことを知らない。想像力にもそれぞれ限界がある。見聞きしたり、旅に出ることで知らなくて良いことがちょっとだけ我が事になる。多分それも語り継ぐことで生まれる物語の一端だろう。自分にとってはお好み焼きからそれを強く感じた旅だった。

先日、東日本大震災の没者を揶揄した少年の映像が出回り、激しく炎上の狼煙を上げていた。いつものSNSのワンシーンだ。
自分は東北出身者だけれど、ことさら私個人がそれを批判する気もその権利もない。少年にとってはきっとまだ我が事ではなかっただけなのだ、と思う。コロナ禍が奪った数年で世界の分断は広がり、他人事が増えてしまった。
ただまた一つ、僕らが旅に出る理由を見つけたような気もするのだ。

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