
一つだけ、あの時の旅行で後悔をしていることがある。カメラを持っていなかったことだ。これまで書いたようなことだって思い出すのに少し時間がかかってしまった。そして、鮮明なイメージとして浮かんでくる部分は多くない。
きっと時間が経ちすぎてしまったのだ。人間の脳から記憶はなくならず、存在する記憶を取り出せなくなるらしい。在るはずなのに手が届かないということがなんだかとてももどかしい。


その後悔を埋めるようにライカM11というカメラをお借りして、いつかみたはずのサンフランシスコの街並みに向けてシャッターを切った。今回は普段私が使っているM型ライカの最新機種だ。
ライカのいいところは肉体とカメラというメカがダイレクトに繋がる感覚を味わえることだ。インターフェースに入り込むデジタル領域が最小限になることで記憶と記録を残すということが手応えとして結びつく。素通しのファインダーと実際の撮像の少しのズレも、自分の認識と事実のギャップのようで決して悪くない。
あの日あの時、あの肌触りのシャッターとそれが残した写真。
思いと感覚とイメージが一つの記憶として、半導体という外部脳にブロックにまとめられ、格納されていくようだった。

初めて買った写真集はサンフランシスコMOMA(現代美術館)のアンセル・アダムス100周年記念展示の図版だし、妻は親の仕事の関係ですぐ近くのクパティーノで青春を過ごしたし、なんなら私の務める会社もこの辺で産声を上げた。ついでに「ヒロト、風呂イコーゼ!!」と部活の合宿でいつも声をかけてきたアメリカ人のアイツは今もここに住んでいる。
自分にとっての数多の運命が交錯する、そんな不思議な場所がこのサンフランシスコ。

束の間だけれど再び訪れることができたのは本当に幸せなことだ。いい機会だから、父に写真を見せに帰ろうか。思い出話で甦るエピソードもきっとあるだろう。今まで自分は親に自分のことをほとんど話してこなかったけれど、写真はきっとそのきっかけになってくれるだろう。
長くなったが最後に一つだけ言わせてほしい、
「サンフランシスコ、ここが私のアナザーライカ 」(ギリギリセーフ)

バックナンバー




エントリーキットチャレンジ




