金沢という街のことはニュースや雑誌などで少しは知っていましたので、まずは、いつか絶対に行ってみたいと思っていた金沢21世紀美術館へ向かいます。駅から美術館までは、それほど遠くありません。初夏にしては太陽さんの頑張る一日ではありましたが、歩いてまわるには、ちょうど良い距離でした。

歩いて数十分が経ったころ、急に匂いに誘われました。通りの右側にみえるのは、黄色の看板のカレー屋さん。美術館まであと少しというところでしたのに、これは罠です。けしからんです。
汗ばむ体は涼しさも求めていましたから、それからカレー屋さんに入ってカウンター席へ腰掛けるまでの時間は、一瞬でした。ロースカツカレーの食券を半分に千切るおばちゃんの笑顔は、ちょうど良いスパイスとなって、準備体操のように全身の筋肉をほぐします。サクサクの衣とドロっとした辛口のカレールウは、わたしの五感をあっという間にカレーまみれに。フウフウぱくぱくニヤニヤなわたしは、客観的に見ても、幸せに満ちていたと思います。


熱風がご飯つぶのついた頬を撫ぜるお昼すぎ、金沢21世紀美術館へ到着しました。
「うわさに聞いてはいたけど、すごいなあ」
世界的な建築ユニット“SANAA(サナァ)”が手がけたその建物は、円の形をしていて、全面ガラス張り。現代的なのに伝統ある金沢の街とよく溶け合っているその様相に、思わず唾を飲み込みます。家族づれや学生、観光客に近所のおじいちゃんおばあちゃん。あらゆる世代の営みが凝縮されたその美術館に、わたしはどこか懐かしさを感じるのでした。







この期間行われていた企画展を観て、時折あるイスに腰かけては、ぼーっとして。写真もたくさん撮りましたけれど、あまりの居心地の良さに、何度も深呼吸したことを覚えています。

夕方、バスに乗って、ひがし茶屋街へ。
現代美術の鑑賞をあとにしてぶらり散歩をする茶屋街は、単にフォトジェニックとしてだけでなく、その景観の持つ歴史や意義をまざまざと考えさせてくれる、そんな場所です。整った瓦屋根に、上品さとぬくもりをもった木造建築の数々。石畳をひとつひとつ踏むたびに、ずっしりとわたしの胸を打つ、なにか。


和菓子を食べたのは、いつぶりでしょう。小学校のころ通っていた放課後の学童保育で、毎週水曜日に行われていた茶道教室。そこで少し茶道の基礎を学んだ覚えはあるのですが、当時お抹茶もあんこも嫌いだったわたしにとっては、文字通り、甘くて苦い思い出です。
「ふう」
茶屋の窓際席で風に吹かれながら、ほっと一息。お抹茶も和菓子も美味しくて、そして正座はちょっと痛くて。色々な意味で大人になったなあと、茶屋街の大通りを眺めながら、しみじみ思うのでした。





金沢の街は、夜も活気にあふれています。それはつまり、優柔不断なわたしにとってはまるでダンジョンのような場所であることを意味するのですが、中心部の路地裏を歩けば、美味しそうなレストランや食堂がいっぱい。よだれが枯れるまで悩みに悩んでわたしが入ったのは、一回通っただけではなかなか気がつかない、小さな中華料理屋さんでした。

老夫婦がふたりで営む、オレンジ色のカウンターが食欲を掻き立てる、小さな中華料理屋さん。
具だくさんのチャーハンはちょっと味が濃くて、その塩っけは、歩き疲れたわたしの足や腰にはちょうど良かったみたいです。

「あんた、金沢に来たらここの餃子も食べなきゃ損よ」
「可愛いカメラね、どんな写真撮ってるの」
「とっても美味しかったです、今度は家族をつれてきますね」
カウンター席に座る地元の人々や、お店を切り盛りするお父さんお母さんとの何気ない会話もまた、旅の醍醐味です。




