なんとも不思議なタイミングだったと思います。
“言葉”についてある悩みごとを抱えて近所を散歩していた時、2丁目の藤原さんちでお通夜が行われているのを目にして、わたしはすぐに自身の家に戻りました。
お母さんに「あれ、言ってなかったっけ。藤原さんちのおばあちゃん、病気で亡くなったんですって」と言われてからのわたしは、およそ衝動的に、異なる種類のサンダルを履いては家を飛び出して、特に意味もなく、彼女の畑へ向かったのです。

「中学生の時のことなんて、いまのいままで、忘れてたなあ」
藤原のばあちゃんは、言葉に厳しい人でした。わたしの祖母でもないのに、ただの近所のおばあちゃんなのに。わたしという木から生え枝分かれする言の葉の中から、虫のくっているものを都度丁寧にもぎとり、綺麗に整えようとする、そんな人でした。ちょうど、彼女の畑仕事のように。





