今回の旅で忘れられない光景がある。穴水から249号線を北に走るとやがて海岸線沿いに出る。右手に能登のコバルトの海を楽しみながら進むとやがて左に桜に包まれた場所が現れる。
波並(はなみ)駅の満開の桜だ。
駅、といっても今はもう使われていない。
のと鉄道能登線は2005年に全線廃線となったのだ。
そんな遺構に住民の方々が桜を植えて、「波並で花見を」と盛り上げようとしている。
かつて線路が敷かれていた場所に一直線に咲き誇る桜はまるでありし日を偲ぶ幻の車両のようで思わず、
「もう誰も訪れない廃線駅に春だけが一時停車していた。」
という言葉がすっと胸中に浮かんできた。

儚く散ってしまうものの、毎年必ず春に咲く桜と、もう二度と帰ってこない能登線の車両。どちらもこの世に不変のものは存在しないことをその背で語りながら、その実、性質は全く異なっている。一方は役割を変え駅から別のものに変わろうとし、もう一方はその花の役割を全うし続ける。戻ってくるものと戻ってこないものが同居する空間で、私は言葉を手繰りながら、在りし日の波並駅を夢想した。
そこでは春の穏やかな光の中、波音を少しずつ掻き分けるようにカタコトと静かに車両が往来し、鮮やかな 桜吹雪に包まれながら人々が乗降していた。美しい光景だった。

旅をすることで未だ見ぬ景色と出会い、その出会いからまた自身の言葉が紡がれる。
その紡いだ言葉で自分の意識と世界との対話が続いていく。
AIの発展により、今日ではジェネレーティヴ=言葉からあらゆる可能性と世界そのものが紡がれるようになった。
そこにおいて自らの言葉がどんな体験から、感情からやってくるのか、もっと鋭敏にならなければ新しい光景を生み出すことは難しくなるのかもしれない。
それ故に自問を繰り返し、琴線が震える瞬間を求めてこれからも旅を繰り返してゆくのだろう。
アフリカから数多の旅を繰り返してこの極東の地へと私達をいざなった、遺伝子に組み込まれた欲求が、現代でも私たちをして旅せしめるけれども、その先の未来へと眼差しを送り続けるために、せめて言葉に、写真にして今は残し、紡いでいきたい。
能登の廃駅に咲く夢幻の桜は人が言葉から作り上げた光景の中でも最も美しいものだった、と私は思う。

※5/5に起きた能登半島の地震に際して、被災された皆様のご安全と無事を祈念しております。また、風評により多くの方々が旅行やその予約を取り消すことなく、実態に即してご判断されることを強く願っております。
今回使用したカメラ・レンズ

LEICA SUMMILUX-M f1.4/50mm ASPH.



SONY FE 70-200mm F2.8 GM OSS II

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