2歳(2007年/29歳)…写真新世紀優秀賞を受賞。

ー早速ですが、これまでの写真家人生で転機になった年齢や出来事を、古い(生まれた)順に教えてください。
青山:まずキャリアの転機になったのは、2007年ですね。写真家として2歳の時に、キヤノンが主催する『写真新世紀』という、ちょうど2021年に終わってしまったコンペティションで、優秀賞を受賞することができました。お笑いのM-1で言うと、優勝までいかなくても、ファイナリスト進出ぐらいの価値はあると思います。当時のコンペティションっていうのは、今より影響力もありまして。「受賞=売れる」じゃないですけど、業界から認められる感じがあったんですよね。だから、まさに今芸人の方々が『M-1ドリーム』というくらい、それに賭けて漫才を仕上げるように、駆け出しの写真家はあの写真新世紀に賭けている人が多かったんです。その他にも、当時は『ひとつぼ展』と『エプソンカラーイメージングコンテスト』というコンペティションがあって、それら2つに写真新世紀を含めて、3大コンぺと呼ばれていました。その3大コンぺに向けて作品を仕上げて送るのが一般的でしたね。
ー著書の中では「3年で結果が出なかったら辞める」という断固たる決意が綴られていましたね。
青山:そうなんです。この2歳は、ちょうどその3年目なんです。2007年に結果を出せなかったら、写真家を辞めようと考えていました。その時は(人間年齢で言うと)29歳だったので、30になる前に。それだけ賭けていたので、当時はかなり狂っていたと思います。写真のことしか考えていない状態でした。
ー確かに生活が破綻する一歩手前だった、という旨の記載がありました。
青山:はい。もう今はそんなことできないですけど(笑)。写真は、写真を始めた頃から、初めてできたドハマりした趣味だったので。それで生きていくって決めたら、もう「趣味」というか「仕事」というか「人生」で。だから、もうプライベートで道を歩いてても、全部ロケハンです。晴れた日だったら「この光、この時間帯、この天気だといいな。今度撮ろう」と思うし… 本屋を見つけたら、立ち寄って写真雑誌をくまなく読んで、そこに載ってるカメラマンの名前とかも全部控えるし…で、帰ったらネットでそのカメラマンを検索するし……(笑)お金はなかったですけど、カメラ雑誌はなるべく買うようにしてました。「欲しい!」って思った写真集があったら、お金なくても削り出して、何千円・何万円のものを買うこともありました。とにかく、写真のためならなんでもするって感じでしたね。でも、それぐらいしないと結果が出ないと思ってました。自分に才能があると思ってなかったので。まあ、今も思ってないですけど(笑)だから、努力は誰よりもしたつもりです。



