みなさんは写真をどのように見ていますか?
写真の見方は人それぞれ。決まった見方はありませんが、写真史に名を刻んだ写真家たちの作品を見て「もっと理解したい」と思った経験はないでしょうか。
作品をより深く理解するためには、写真家の生い立ちや当時の時代背景など「写真を読み解く鍵」が必要です。
本企画「飯沢耕太郎の写真家ライブラリ」では写真評論家の飯沢耕太郎さんをお招きし、世界の名だたる写真家について「写真を読み解く鍵」を探っていきます。
飯沢耕太郎さんプロフィール

牛腸茂雄(ごちょう・しげお)
第三回目となる今回は、コンポラ写真の代表的な写真家・牛腸茂雄さんです。
3才で胸椎カリエス(※)という難病を患い、36歳という若さでこの世を去った写真家の眼差しや思考を探っていきます。
牛腸茂雄 Shigeo Gocho
1946年新潟県加茂市穀町にて三人兄弟の次男として生まれる。実家は金物店を経営。3才のころに「胸椎カリエス」という病気を患う。1965年に「桑沢デザイン研究所」へ入学後、写真家であり講師でもあった大辻清司に見出され写真を始める。卒業後に発表した『SELF AND OTHERS』(白亜館)で日本写真協会新人賞(1978)を受賞。その後も写真集や写真展等で作品を発表し続けたが、体調悪化により1983年に新潟の実家へ帰郷。同年6月2日に死去。享年36歳。
※ 胸椎カリエス(脊椎カリエス)…一種の骨関節感染症で、結核性脊椎炎とも呼ばれる。脊椎の結核菌による感染症で胸椎だけでなく、腰椎にも感染する。初期症状として、棘突起の叩打痛、体動時痛が現れなどがあり、進行後は、亀背、脊髄麻痺、冷腫瘍が現れる。
牛腸茂雄とはどんな写真家?
ー牛腸茂雄さんはどんな写真家なのでしょうか?
飯沢さん:まず、牛腸(ごちょう)ってとても珍しい名前ですよね。新潟県の加茂市の出身なんですけど、割と限られた地域にしかない名前らしいです。
ーこれは本名なんですか?
飯沢さん:はい。本名です。上越新幹線の燕三条駅からほど近い川沿いの田園地帯の出身なんですけど。いろいろと特異な点のある写真家で、まず牛腸さんについて語るときに一番最初に出てくるのは、小さいころ(3才)に「胸椎カリエス」という重い病気を患ったことなんですね。
「胸椎カリエス」は骨の病気で、1〜2年ギプスをはめてベッドに縛り付けられるような療養生活を送ったんですよね。
それで、病気の後遺症が残ってしまうのですが、背が140センチ程度しか伸びなくて、内臓にも影響があったそうです。
その後遺症の影響で1983年に亡くなられて、過去の人になりかけていたんですけど、没後10年余り経ってから写真集が出たり、映画が作られたり、大きな回顧展が開催されたりして取り上げられるようになりました。
ー幼くして大きな病気を患いながらも、残した作品が現在再評価されているんですね。
牛腸茂雄の歩み
記事内で紹介する写真家・牛腸茂雄さんの歩みを紹介します。
新潟県加茂市穀町に生まれる。
桑沢デザイン研究所に入学
桑沢デザイン研究所を卒業
『日々』(自費出版)

『SELF AND OTHERS』(白亜館)

日本写真協会新人賞受賞
『見慣れた街の中で』(自費出版)

心不全で死去
牛腸茂雄の写真を見るポイント
牛腸茂雄さんの経歴をなぞりながら、作風に影響を与えた重要な出来事を紐解いていきます。
持病による影響
幼い頃に患った病気により、長く生きられないことを医師に宣告された牛腸茂雄さん。死の不安による独特の“切迫感”が写真に表れている。
ー「胸椎カリエス」という病気が作品に与えた影響はどんなものだったのでしょうか?
飯沢さん:牛腸さんは胸椎カリエスによって、医者からは20歳くらいまでしか生きられないと言われていたんですよね。そのためか、常に死の不安を抱え込んでいた。牛腸さんの写真の切迫感はそこからきているようにも思えます。
桑沢デザイン研究所の大辻清司さんとの出会い
牛腸茂雄さんは桑沢デザイン研究所の授業で写真を始め、大辻清司さんから写真術を学んだ。
ー牛腸茂雄さんが写真を始めたきっかけはどんなものだったのでしょうか?
飯沢さん:牛腸さんは新潟県立三条実業高校に通ったんですけど、美術部に所属していて、デザインに非常に興味を持つんですね。ポスターのコンクールで入賞したこともあったみたいです。その後、グラフィックデザインの仕事は机の前に座ってやる仕事なので自分に向いていると考えて、東京の渋谷にある「桑沢デザイン研究所」に入学します。
桑沢デザイン研究所は優秀なデザイナーをたくさん輩出している良い学校で、いろいろな授業を受けるのが特徴です。例えば、グラフィックデザイナーになる勉強をする時に、いわゆる造形教育、デザインの基礎を勉強するだけじゃなく、絵を描いたり写真を撮ったりする授業もあるんですよね。
それで、その当時、写真の授業を担当していたのが大辻清司さんでした。牛腸さんはその大辻清司さんの授業を受けて、課題をやっているうちに写真に興味を持つようになります。
当時から誰がどう見てもうまいんですよね。プロフェッショナルに近いぐらいの技術や感性を持っていました。
講師の大辻清司さんは戦後すぐくらいから前衛的な写真を撮り続けている方で、雑誌の仕事もされているんですけど、写真の教育者として非常に優れている方なんですよね。
牛腸さんのほかにも桑沢デザイン研究所から、高梨豊さんや山田脩二さんなどの優秀な人を出されています。筑波大学でも教授をしていたので僕も講義を聞いたことがあるんですけど、淡々と喋って何を言っているのかよく分からない感じの授業でした(笑)。筑波大学時代の教え子だと畠山直哉さんが有名ですよね。
牛腸さんと畠山さんって全くスタイルが違うんですけど、大辻さんはその人の適性や個性を伸ばしてあげることができる方だったんですよね。僕は、自分の縮小再生産のような人を育てるというよりは、教え子の適性を見極めてみんな異なる方向へ導くことが、優れた先生の資質だと思うんですが、大辻さんはまさにそんな先生でした。
ーでは桑沢デザイン研究所に入学したこと、大辻清司さんとに出会ったことが、牛腸さんにとっては写真を始める大きな転機となったんですね。
当時流行していた「コンポラ写真」の存在
アメリカで始まり日本でも浸透していったコンポラ写真。当時コンポラの代表として取り上げられた一人が牛腸茂雄さんだった。
ー牛腸茂雄さんが影響を受けた写真家さんはいらっしゃったんでしょうか?
飯沢さん:牛腸さんが写真活動していた当時は、日本の写真の世界が大きく変わり始めていた時で、アメリカの現代写真の影響を大きく受けていたと思います。

飯沢さん:写真①の写真集は『Contemporary Photographers; Toward a Social Landscape』という写真集なんですけど、日本語に訳すと「現代の写真家−社会的風景に向かって」ということですよね。アメリカにジョージ・イーストマン・ハウスというKODAK創業者の自宅を改装した美術館があって、1966年にそこで開催された展覧会の写真集です。
これはスナップショットの写真集ですが、特別な出来事ではなく当たり前の日常を切り取っていくという撮り方が特徴です。こういった横位置で距離を取って撮影するスタイルをアメリカの写真家たちが始めて、日本の若い写真家たちが影響を受けるわけですよね。
森山大道さんや中平卓馬さんらによる『PROVOKE』の「アレ・ブレ・ボケ」のスタイルとは違って、もっとしっかりモノを見てきっちり撮影していく撮り方が、桑沢の学生たちの間にも徐々に浸透していきました。
ーでは牛腸茂雄さんはその『Contemporary Photographers』のようなスタイルに影響を受けたのでしょうか?
飯沢さん:牛腸さんが直接『Contemporary Photographers』の影響を受けたというよりは、どちらかというと、東京オリンピックの後(1964年)に牛腸さんだけでなくほかの写真家たちも、自然発生的に距離を置いて現実に向かう姿勢が浸透していきました。
後にこのスタイルは「コンポラ写真」って呼ばれるようになるんですけど、日本国内でもその流れが注目されるようになって、『カメラ毎日』の「シンポジウム 現代の写真」(1968年6月号)という特集で、若い世代の写真家が何人か取り上げられます。その中に牛腸茂雄さんが入るんですね。それが牛腸さんのデビューでもあるんですけど、そこに書いてある大辻清司さんの文章もとても良いものでした。それをきっかけに牛腸さん自身にも注目が集まってくるんですよね。
牛腸茂雄の代表作(写真集)
『日々』(1971年/自費出版)

ーこれが牛腸茂雄さんが出した最初の写真集でしょうか?
飯沢さん:そうです。桑沢時代からずっと撮り溜めていた写真を一冊の写真集にまとめたいということで、同級生だった関口正夫さんと共著で作りました。
この当時、写真集を作ることは写真家たちの目標だったわけですよ。カメラ雑誌に出すこともそうですけど、やっぱり自分の作品を写真集としてまとめて、世に問うということがしたかった。
ー写真集はある種のステータスのようなものだったのでしょうか。自費出版してまで出したかったんですね。
飯沢さん:こんな若い写真家の写真集にお金を出してくれる出版社はなかったんです。序文は大辻清司さんが書いています。これも良い文章なんですよね。
内容としてはタイトルの通り日常に目を向けていて、その当時の若い写真家の動向がよく現れています。

ー写真②のように、写真の周りに黒いフチを残しているのは何故ですか?
飯沢さん:これはトリミングをしていないという印です。35ミリのフィルムをそのままプリントするわけだけど、その時にトリミングしたものは黒いフチが入らなくて、トリミングしていないものは黒いフチが入るというような。元々アンリ・カルティエ=ブレッソン(※)が始めるんですけどね。
ーなるほど。そういうフィルムならではの表現技法があったんですね。
飯沢さん:関口さんもすごいうまくて、スナップショットの天才かもしれないです。関口さんは雑誌の特集で大きく写真がフィーチャーされる人ではなかったのですが、大辻さんの文章の挿絵としても関口さんの写真はよく使われていました。
ーここに掲載されている写真は牛腸さんの初期の写真だと思いますが、何か特徴はありますか?

飯沢さん:この写真③のようにちょっと遠い距離感が特徴ですよね。この犬の写真もいいですよね。大辻さんが「詩人犬みたい」と言ってるんですけど。子どもの写真も多いですよね。
ーなぜ子どもの写真が多いのでしょうか?
飯沢さん:牛腸さんは子どもの頃、ずっとベッドに縛りつけられてて、外に出て遊ぶことができなかったんですよね。だから、その「子どもの生き生きとした姿に対して、ある種の憧れや願望みたいなものが投影されている」といったことが、次に発刊される写真集の大辻さんの序文に書いてあるんです。
ー横位置の写真が多いですね。
飯沢さん:そうですね。牛腸さんの被写体との向き合い方から自然と横になっていくんだと思うんですよね。縦位置はやっぱりカメラの構え方からして、意図的に撮らなきゃいけないですから。

飯沢さん:この写真④はちょっと珍しい縦位置の写真で、しかも被写体がこっちを向いてるんですよね。背の低い牛腸さんをちょっときつそうな顔で見ていて……。この写真集の中ではちょっと珍しい写真です。
ー大人をこういう風にローアングルで撮る構図が、背の低い牛腸さんらしさが出ている気がします。
飯沢さん:僕はじつはちゃんとお会いしたことがないんですけど、写真を見る限り牛腸さんは本当に小さい方です。
この写真集は完成度が高い非常に良い写真集ですが、コンポラ写真という当時の流行の中に収まってしまっている感じがありますし、関口さんと牛腸さんの写真にあまり区別がつかないですよね。
ーたしかに全く予備知識がない状態で写真を見たら、どれが誰の写真か分からないかもしれません。
飯沢さん:つまり、いい写真集なんだけど、自分が何をやるべきで、どんな風にやっていくのか、そういうことを試行錯誤している時期の写真集です。デビュー作としては上々ですけど、牛腸さん自身は自分の本領を発揮したとはここでは思っていないような気がするんですよね。
ー方向性がまだ定まっていなかった時期なんですね。
※アンリ・カルティエ=ブレッソン:20世紀を代表するフランスの写真家。主にスナップ写真を撮影し、ロバート・キャパやデヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーと共に国際写真家集団「マグナム・フォト」を1947年結成した。
『SELF AND OTHERS』(1977年/白亜館)

飯沢さん:『日々』を出した後、5年くらい建築デザインの事務所で働きながら試行錯誤を続けるんですけど、70年代の後半になってようやく一つの方向性が見えてくるんですよね。それで1977年に出した写真集がこの『SELF AND OTHERS』です。
ー発行部数はどれくらいだったのでしょうか?

飯沢さん:『日々』は限定1,000部だったらしくて、結構余って大変だったらしいです。一方でこの『SELF AND OTHERS』は300部だから、オリジナルは珍しいんですよね。写真⑤は復刻版です。
ー私も一度専門学校時代に見たことがありますが、オリジナル版はとても貴重なんですね。これはどんな写真集なんでしょうか?
飯沢さん:まず、牛腸さんは当時心理学の本を読んでいたんですね。みすず書房からたくさん発行されているR・D・レインというイギリスの精神科医の本があるのですが、彼はラジカルな方で「患者さんを閉じ込めるのではなく、社会に開放していこう」という実践的な治療を行ないながら、人間の精神の在り方についてとても深く考えていたんです。『ひき裂かれた自己』(1971)や『家族の政治学』(1979)など良い本がたくさんある中で、『自己と他者』(1961)という本もあって原題は『SELF AND OTHERS』なんですけど、おそらく牛腸さんはこの本を読んでいたと思うんですよね。
ーこの『自己と他者』(1961)に影響を受けてタイトルをつけられた……?
飯沢さん:牛腸さんは病気の後遺症が体に残っていましたよね。桑沢時代の同級生に三浦和人さんという方がいらっしゃいますが、三浦さんが牛腸さんを初めて見たときの印象で、少し身構えてしまったというんですかね、彼とどう接して良いのか分からない、そんな思いを味わったと話しているんです。
要するに牛腸さんはそんな経験をずっとしてきているわけですよ。そうすると自己と他者の関係について、どうしたって考えざるを得ないですよね。自分の生き方、自分の人生で、いろいろな人と出会っていくなかでその出会いが自分だけではなく、相手に影響を及ぼすことももちろんあるじゃないですか。
そこで先ほどお話ししたR・D・レインの考え方で「対人関係の相互作用性」というものがあるんですけど、対人関係、つまり自分と他者との関係がお互いに影響を及ぼし合う。牛腸さんが現れて相手だけに影響を及ぼすだけじゃなく、自分もそこにいる人から影響を受ける。その相互作用性をレインは書いていて、牛腸さんはその考え方に非常に共鳴するんですよね。
それを写真で表現できないかと考えを突き詰めていって、最終的には人を撮って写真集の中に並べていくことで、自分の生き方というか半生を写真を通してもう一度再構築しようとしたんですよね。
ー『日々』との撮り方との違いはあるのでしょうか?
飯沢さん:『日々』との異なる点は単に街を撮る、向こうから来るものを受け入れるのではなく、積極的に自分とは何なのか、社会とは何なのか、あるいは家族とは何なのかということを問いかけていますよね。
ーメッセージ性が強いということでしょうか。
飯沢さん:スタイル的にはコンポラ写真なんですよ。横位置の何でもない日常で、記念写真みたいなものも多いんですけど、そのコンポラ写真のスタイルを使いながら、自己探求を進めようとしたのがこの写真集なんです。

飯沢さん:全部で60枚の写真が入っていて、これはいろいろな媒体で何度も書いているんですけど並びが素晴らしいんですよ。
写真⑥は甥っ子さんらしいのですが、生まれた時に撮った写真ですね。次のページを開くと女の子が坂から駆け降りてくる写真で……。

飯沢さん:次のページにくると写真⑦の双子の女の子が出てきます。この双子の女の子がちょっと不思議ですよね。双子って面白いですよね、同じ顔の人がもう一人いるんだから。
ーこの写真見たことがあります。
飯沢さん:これは有名な写真ですね。何かを感じさせますよね。双子ですけど顔が微妙に違っていて、あと後ろにいるカップルが妙に気になりますよね。これはあえて入れてると思うんですよね、僕は。双子との関係性だけじゃなくて後ろのカップルの関係性も出てきますよね。
あとは入院した時に出会った看護婦さんや子どもたち、桑沢の同級生やカップルなどの写真で構成されています。人間関係が錯綜している様子を一枚一枚丁寧に撮って並べながら、自己と他者との関係の在り方を写真を通して検証しているんですよね。
どこにどの写真を置くのかということが本当によく考えられていて、どれもいい写真だから話し出すとキリがないんですよね(笑)。

飯沢さん:そしてここら辺から家族の写真が入ってくるんですけど、写真⑧は最初出てきた甥っ子さんが大きくなって撮ったものですね。この手を握ってる感じが微笑ましいですよね。甥っ子さんも緊張して恥ずかしそうな感じでね。

飯沢さん:それで60枚ある写真のちょうど30枚目がこの写真⑨なんですよ。牛腸さんのお母さんです。距離感が明らかにほかの写真と違いますよね。
ーたしかに顔が画角いっぱいに写されてますね。
飯沢さん:この写真を見ると、牛腸さんはお母さんとの関係の在り方について、非常に強い思いを抱いてたんじゃないかって思うんですよね。だから距離が近いということはもちろんですが、この写真を見ていると、逆にこの距離の近さ故の強い葛藤みたいなものも感じます。本当に良いお母さんなんですけど、単純にポジティブなものだけでもなかったと思わせる写真ですよね。

ーお母さんの隣の写真⑩はお父さんでしょうか?
飯沢さん:そうです。だからこのお父さんとお母さんの写真の扱い方に、人間関係の相互作用性を写真でどう表現するかということが現れているように思うんです。60枚中30枚目、ちょうど折り返しの部分にあるということも含めてよく考えられていますよね。

飯沢さん:そのお母さんとお父さんの写真の次にくるこの写真⑪。これもじつは面白い写真で、女の子が何人いるように見えますか?
ー二人ですかね…?
飯沢さん:足をよく見ると三人いるんですよね。この写真では見えない子がいるんです。この見えないもう一人の子のことも、牛腸さんは考えたんじゃないのかなと思います。人間関係でもあるじゃないですか、見えない他者が何かすごく強い影響を及ぼすみたいな……。それを象徴する写真で、お母さんとお父さんのような重要な写真の次にこれが来てるってところが、やっぱり考えられていますよね。
ー写真集に出てくる方々を、かなり詳細に把握されていますよね。
飯沢さん:僕は後でこの写真集に出てくる人たちがどういう人たちなのか調べたんですよ。それで大体分かったんです。そのうえでこの写真集を眺めてみると、どの写真をどの位置に置くのかが、見れば見るほどよく考えられているし、一枚一枚の写真が強いんですよね。何でもない写真なんだけれど、写真の世界にフッと引き込まれる力強い写真です。
ーあえてこういった写真を採用しているんでしょうか?
飯沢さん:そうですね。何かこういう力を持った写真をちゃんと選んでいると思います。例えば、先ほどお話しした三浦和人さんの写真もこの写真集に出てくるんですけど、ご本人はこの写真を牛腸さんに撮られた写真の中では一番嫌いだと言っているんですよ。さっきの双子の子たちも、後のインタビューでこの写真がすごい嫌いだったと話しています。だから決してポジティブな部分だけを引っ張り出そうとしているわけじゃないんですよね。自分が見たくないネガティブな部分がちゃんと引き出されていると思います。

ー写真⑫はほかの写真と雰囲気が全く違いますね。
飯沢さん:これはアルバムからはがした写真だと思います。彼が6歳くらいの頃の家族写真ですね。この写真集は自分の半生を振り返るというコンセプトもあるので、過去の自分を入れたんです。
それで、過去の自分というのは、胸椎カリエスを患っていたときのベッド生活からようやく抜け出して、家族と一緒に写っている自分で、右ページの今の自分の写真(写真⑬)と並べています。これがまたいい写真ですね。

飯沢さん:後ろに自分のドローイングの作品が掛かっています。東京造形大学で講師をしたことがあって、その部屋らしいんですけどね、なんかあの、宇宙からひゅっと降りてきたみたいな、そんな感じに見えますよね。それも含めてこれもすごくいい写真です。
ー説明するのは難しいですが、不思議な感覚にさせる写真ですね。

飯沢さん:それと最後に1枚だけ、この写真集のほかにない写真が出てくるんです。表紙にも使われている写真で、 アメリカンスクールで桑沢の同級生の佐治さんという人が仕事をしていたのかな。その関係で神奈川県座間市のアメリカ軍基地で開催された花火大会の撮影に行くわけですね。この写真⑭はその時に撮影された写真です。
花火の煙がある中に、子どもたちが走って煙の中に消えていこうとしている写真で、この写真を入れたところに、僕はすごい意図的なことを感じるんです。
ー意図的なことと言いますと……?
飯沢さん:こういう60枚の写真の中で、これだけが違っています。ほかの写真は自己と他者との関係をいろいろな形で検証していく写真なんだけど、これだけはそういう写真じゃなくて、この地面の白線が重要な気がするんですよね。この線を越えて向こう側に行こうとしているという風に感じるわけです。
一番分かりやすい説明で言うと、こっち側の世界と向こう側の世界、この世とあの世でもいいけど、要するにこの線がその境界線のようにも見えるんですよね。
ーたしかにそういったイメージを彷彿とさせる写真ですよね。
飯沢さん:牛腸さんは「自分がいつ死ぬかわからない」「あと何年生きるか分からない」という死のことを常に考えていて、だから「いつ自分にそういうことが訪れるか分からない」ということが、彼の人生の中に組み込まれているんですよね。そうすると、こういう写真を見た時に、そう感じてしまうと思うんです。
つまり、この子どもたちと一緒に向こう側に行くという……。この時はまだこっち側にいますけど、この6年後に亡くなるわけだから……。そう考えてみると、非常に象徴的な写真ですよね。写真自体もいい写真で、本当に連れていかれるような感じがするじゃないですか。
ー生で始まって死で終わると考えると、順番的にもしっくりくる気がします。
飯沢さん:本当に見事な写真集だと思います。この写真集は非常に評価も高くて、日本写真協会新人賞をとっています。木村伊兵衛写真賞の最終候補にもなるんですけど残念ながら取れませんでした。その時木村伊兵衛賞を取ったのは藤原新也さんですね。
ー木村伊兵衛賞は取れなかったけど、最終候補になるほど評価は高かったんですね。
飯沢さん:賞を取れなかったのはちょっと残念だけど、牛腸さんの仕事が認められたということは間違いないと思います。
『見慣れた街の中で』(1981年/自費出版)

飯沢さん:70年代の後半になると、また体調が悪くなってしまって、残された時間がないということを薄々感じてたんじゃないかなって思うんですよね。このままだと、写真家としての仕事も難しくなるんじゃないかと考えたということもあって三冊目の写真集を出します。
ー今までとガラッと雰囲気が変わっていますね。
飯沢さん:『SELF AND OTHERS』のようなきっちり端正に人やモノを捉えるスタイルを完全に壊してきていますよね。自分のスタイルが固まってくると、また壊すという……。
まず、カラーということが大きな違いです。これまでずっとモノクロームでやってきたわけじゃないですか。第二回のソール・ライターの回にもお話ししましたが、この時期(80年代始め)カラー写真にチャレンジするというのは、カラープリントの耐久性などの問題もあって、なかなか写真家たちが自分の表現として積極的に選ぶことが難しい時代だったんです。牛腸さんはあえてそれをやっているんですよね。
これポジフィルムなんですけど、当時ちょうどアメリカでニュー・カラー(※1)と言われるような写真表現が出てきたのがほぼ同時期なんですね。1980年代前後ぐらいなので。そう考えたら、かなり先駆的な仕事ということが一つありますよね。
ーあえてカラー写真にチャレンジした理由などはあるのでしょうか?
飯沢さん:カラー写真でなきゃいけない条件があって、モノクロームは体がやっぱり厳しかったそうです。現像、引き伸ばしなどの暗室作業って大変じゃないですか。それがちょっと難しくなってきてたってことはあるみたいですね。
じつは牛腸さん『SELF AND OTHERS』の時ぐらいから、プリントがバライタ紙(※2)じゃなくてRCペーパー(※3)なんですよ。要するにバライタ紙は水洗の時間がたくさんかかるんですよね。だからRCペーパーを使って水洗の時間を短くしていたんですけど、やっぱり70年代後半から80年代の初めになると、それさえも大変になってきたそうです。ポジフィルムだったら現像出せばいいというところもあったみたいですよ。
ー体調的な問題でより時間のかからないポジフィルムを選んだんですね。
飯沢さん:もう一つの特徴は、『SELF AND OTHERS』では自己と他者がはっきり見える一方で、この写真集は自分の存在を消している点です。街に出てその中に紛れ込みながら、その街の状況を全身で受け止めて撮っていくという撮り方をもう一回やってみようと思ったんじゃないですかね。

飯沢さん:東京と横浜の雑踏の中に出かけていって、シャッターを切っているんですけど、写真⑮とかいい写真ですね。街の気配を捉えようとしている気がしますし、見ているといろいろ特徴があるんです。
ーどういった特徴でしょうか?

飯沢さん:牛腸さんって身長が低いじゃないですか。だからローアングルなんですよね。このローアングルの視点がやっぱり特徴的で、普通の人が見る街の雑踏とはちょっと違う視点や視覚が見えてくる。その辺りも含めて、非常に意欲的な写真集です。リアルだし現代の東京の空気感に、そのまま繋がってくるところもあるんじゃないかと思うんですよね。『日々』を見ていると、ちょっと古い東京って感じですけど、こっちは写真⑯のように結構リアルじゃないですか。

飯沢さん:全部ローアングルですよね、写真⑰とかもね、面白い写真ですよね。だから、非常に静的な仕事であるとともに、実験作・意欲作という側面があるんですよ。
後々になって、このシリーズの評価が非常に高まってきますが、当時はこの写真集の評判はあまり良くなかったんですよね。木村伊兵衛賞の候補にもなった『SELF AND OTHERS』が彼の代表作。どうしたっていい写真集ですしね。『見慣れた街の中で』に関しては、彼が何をやろうとしたのかが、周囲になかなか理解されなかったみたいです。
なので、それは牛腸さん自身もがっかりしたところがあるような気がするんですよね。一つの自分の成果を世に問うという意味では、この写真集もとてもいい写真集です。
ー『SELF AND OTHERS』が良すぎた故の反動のようなものでしょうか。写真展などはしなかったのでしょうか?
飯沢さん:これは写真集として50数枚を収録していますが、ミノルタフォトスペース新宿というところで展覧会も開催しています。その展覧会の並びと写真集が違うんですよ。入れ替えているんですよね。それでその写真展の写真をまとめた増補版の写真集も2013年に発刊されました。オリジナルの『見慣れた街の中で』にプラスして、展示された写真がだんだん分かってきて、これはこれでなかなかいい写真が入っているんですよ。
ー牛腸さんはなぜ展覧会と写真集の内容を変えたのでしょうか?
飯沢さん:展覧会と写真集の構成を変えることは、結構よくやるんですね。つまり、ページをめくっていく見え方と、壁に並んだ写真が一度に目に入ってくる見え方が違うから、それに合わせて写真を加えたり引いたりするということをやったんですよね。
※1 ニュー・カラー:1960年代後半から1970年代にかけて、アメリカの写真家たちが撮影したカラー・フィルムの写真
※2 バライタ紙:暗室でモノクロプリントをする際に用いられる印画紙。良質なパルプ紙に硫酸バリウムを含んだ乳剤が塗布されている。水洗や乾燥など作業工程に手間がかかる分、黒の締まりが良いためモノクロフィルムの写真作品に多く使用されている。
※3 RCペーパー:暗室でモノクロプリントをする際に用いられる印画紙。RCはResin(=樹脂) coatedの略。紙がポリエステル系の樹脂でコーティングされており、水洗や乾燥に要する時間が短い。
『幼年の「時間」』(1995年/MORE)

飯沢さん:『見慣れた街の中で』が、結果的に最後の写真集になるんですけど、その頃からかなり体調が悪化してしまいます。一時千葉にアトリエを建てて住むというような計画もあって、土地まで見に行って契約寸前までいったという話を聞いたんですけども、結局東京で暮らすのも難しくなって、それも間に合わなかったそうです。
1983年になると、さらに体調が悪化して、新潟県の加茂市の実家に戻ります。そして実家で36歳で亡くなってしまうんですけども、じつはこの『見慣れた街の中で』の後でもう一冊写真集を考えていたんです。それがこの『幼年の「時間(とき)」』という写真集です。
ーこれは牛腸さんが作られた写真集なんでしょうか?
飯沢さん:これは牛腸さんの死後、三浦さんなどの友人たちが再構成した写真集で、牛腸さん自身は刊行していません。
見てみると、撮り方が『SELF AND OTHERS』の世界に戻っていますよね。被写体は全員子どもです。子どもという牛腸さんが初期から非常に強く心を捉えていた被写体で構成されています。

飯沢さん:写真⑱は写真家の島尾伸三さんの娘である、しまおまほさんという方ですね。エッセイストになった人ですけど、いい写真ですよね。どこかの駅の改札にポンと置かれているというか、座っているんですけど、不思議な写真でもありますよね。子どもの持つ存在感のかわいいポジティブな部分だけではなくて、孤独を感じさせる写真やちょっと怖い写真もあるんですよ。

飯沢さん:この写真(写真⑲)がすごいと思います。絶妙な表情を撮りますよね。光だけじゃなくて、翳り(かげり)みたいな、この子の内面性、揺らぎを感じるんですよね。
ーたしかにいわゆる家族が撮ってくれるような写真とは、被写体の眼差しも違いますね。
飯沢さん:そういう部分をちゃんと拾っているんですよね。


飯沢さん:写真⑳の『日本カメラ』というのが、遺作というか最後に発表した写真です。この写真(写真㉑)がまたいい写真で…。『SELF AND OTHERS』のアメリカ軍基地の写真を思い出させるような、なんかやっぱり向こう側に連れて行かれそうな感じの写真。自分の少年時代を、思い起こさせますよね。
やっぱり写真集としてまとめたかったんだと思うんですよ。これは仲間たちが残してくれましたけど。
あと、この写真集にはもう一つ面白い話があって、梶原高男さんという『日本カメラ』の編集長に宛てた手紙が残っていて、そこでこの『幼年の「時間」』の計画について書いてあったんですよね。
ー写真集を作る計画ですか?
飯沢さん:そうです。「私はこれからこの『幼年の「時間」』という写真集を作りたい」という内容で、「いろいろなことを試しているけれど、子どもと対照的な存在である老人たちも撮って、幼年と老人の編を合わせるような形の写真集を作りたい」というようなことが書いてあったそうです。
要するに、子どもは生まれて生の世界に向けて伸びていこうとしますよね。一方老人は、生の世界から死の世界へ向かって行こうとしている人たちで、対照的なわけです。
ーなるほど。そんな逸話があるんですね。完成品を見てみたかったですね。
飯沢さん:ただ時間がなかったですよね。だから、36歳で亡くなったということは牛腸さんにとっても残念だったと思います。こうやって調べてみると、牛腸さんはもっといろいろな可能性を持っていた人で、それを全部開花させるまでには至らなかったんです。
ー例えば、その可能性が垣間見えた何かが残されていたりしたのでしょうか?

飯沢さん:これも展覧会が開催されたものなんですけど、『扉を開けると』という作品も残しています。
ーこれは写真集でしょうか?画集ですかね…。

飯沢さん:これは写真㉒のような、インクブロット(※1)という技法で作られた作品が収録されているものですね。インクブロットはロールシャッハ・テスト(※2)という精神分析でも使われるものです。
牛腸さんは1975年に「闇の精」という展覧会を写真ではなく美術のギャラリーで開催するんですけど、ロールシャッハ・テストを日本に導入した片口安史さんがこの本を作ってくれたそうです。
桑沢の頃に授業でやって、卒業してからもずっと淡々と夜中に作っていたらしいんですけど、牛腸さんは精神分析や心理学の本をたくさん読んでいたので、そういう分野にも興味があったのだと思います。
ー写真とは全く違う作品ですけど、引き込まれてジーッと見てしまう性質は共通しているような気がします。
飯沢さん:なかなか面白いでしょう。写真家として牛腸さんの仕事を見てみると、非常にクオリティの高いものを継続して撮られていることが分かりますけど、アーティストとして捉えてみると、もう一回り大きな世界があるんですよね。日記とか手紙も残っているんですけど、文章もすごいんですよ。
トータルに表現者としての能力がとても高い人だったと思います。
※1・2 インクブロット/ロールシャッハ・テスト…紙にインクをたらし、被験者に作られた図形が何に見えるかを答えさせ、性格や精神状態を理解するための心理テスト。ロールシャッハ・テストはその代表的なもの。
『deja-vu 第8号』(1992年/フォトプラネット)

ー牛腸さんが亡くなられた後、現在も大きな展覧会などが開催されることがありますが、写真家としての知名度や評価は常に高かったのでしょうか?
飯沢さん:もちろん仲間や知り合いは、牛腸さんのことをずっと気にかけている人たちが多かったのですが、一時「いい写真家だったね」みたいな感じで、過去の人になりかけていました。
ただ、僕自身は牛腸さんの仕事がずっと気になっていて、生前お会いすることはなかったんですけど、展覧会を見に行ったり、写真集を見ていたりしたので、いいアーティストだなと思っていたんですよね。そのずっと気になっていたことを、80年代の終わりぐらいに、とある雑誌の連載で、「牛腸茂雄ノート」というのを書いたんです。その「牛腸茂雄ノート」にある程度反響があったので、90年代に僕が編集長をやっていた『deja-vu』という雑誌の8号目で「牛腸茂雄特集」をやりました。
ー先ほど「過去の人になりかけていた」ということでしたが、周りの方の反応はどうだったのでしょうか?
飯沢さん:当時は牛腸さんことを誰も知らなかったので、周りは「そんなのやって大丈夫なの?」みたいな反応でした。
でも僕がやりたかったから「こういう特集号組んでみよう」って周りを説得して出したんですけど、はっきり言って売れなかったです(笑)。
ーやはりその時はまだ牛腸さんの知名度が低かったのでしょうか。
飯沢さん:だいぶ断裁したんですよね。勿体無いことをしましたよね。
ー今だったらかなり売れそうな気がします。何か読者からの反響はありましたか?
飯沢さん:雑誌に読者ハガキが付いいて、それの反響がすごかったです。みんな、なんか引っかかっちゃうんですね。新潟県の加茂に残っていた写真を展示する展覧会もやりましたが、写真の前に立ち尽くしちゃって、一時間ぐらい見ている人や、よく見たら泣いている人もいて…。その時「やっぱりこの人の写真の世界ってすごいんだな」ということを改めて感じたんですけど、この特集号がこの後波紋を呼び起こしていくんですよね。
ー波紋とはどういった…?
飯沢さん:これをきっかけにして、まず先ほど紹介した『SELF AND OTHERS』の復刻版が発刊されて……。これ今だに版を重ねているんです。あとNHKの『日曜美術館』で特集が組まれたり……。こんな無名の写真家の特集ってとても珍しいですよ。もう一つ、佐藤真さんという映画監督がいて、彼が牛腸さんにすごく興味を持って、2001年に『SELF AND OTHERS』という同じ名前の映画を作りました。
ー映画まで作られていたんですね。
飯沢さん:これもすごいいい映画なんですよね。こんな感じで牛腸さんの名前が段々といろいろな人に浸透していったんですよね。
『牛腸茂雄全集』(2022年/赤々舎)

ー2022年には大きな写真展が開催されて、この『牛腸茂雄全集』が発刊されました。『deja-vu 第8号』の波紋は今でも続いている…。そんな感じがしますね。
飯沢さん:僕がいつも不思議に思うのは、『deja-vu 第8号』が出たのはもう30年前ですよね。それで20年ぐらい前に、三鷹市市民ギャラリーや山形県立美術館で大展覧会が開かれて、立派なカタログが出て、去年はほぼ日の牛腸茂雄展が渋谷パルコで開催されて、赤々舎から『牛腸茂雄全集』が発刊されて……これまた立派な写真集ですよね。これ結構売れてるみたいなんですけど。
途絶えないんですよね。常に新しい人たち、新しく牛腸茂雄を知った人たちが、ちゃんと語り継ぐような形で、彼の仕事が受け継がれていくということがとても稀有な例だし、面白いなと思います。
ー亡くなって20年、30年と経った今も牛腸茂雄さんへの関心が途絶えない理由は何なんでしょうか?
飯沢さん:理由はいろいろあると思うんですけど、最大の理由は、牛腸茂雄という写真家の写真、あるいは作品の力。一見地味で派手な写真じゃないけれど、ジワジワっと浸透していく……その力を持っているということがあると思うんですけどね。
だから、またこうやって、取り上げられるということも含めて、彼の名前と写真、作品を見た人というのは、やはり何かを感じるんですよね。それで、その何か感じたことというのを、今度は誰かに言いたくなる。なんだろう……その相乗効果のようなものが、ずっと今に至るまで続いてるというのが牛腸さんだと思います。
まとめ
写真集食堂 めぐたま

住所:〒150-0011 東京都渋谷区東3-2-7
アクセス:恵比寿駅より徒歩7分
営業時間:12:00〜22:00(L.O21:00)
あとがき
私が牛腸茂雄さんを知ったのは、22歳で学校で写真を学んでいる時。写真の世界から離れて数年経ち、その存在を少し忘れかけていましたが、作品を再び見た瞬間、学校の図書室で写真集を眺めた光景が頭の中に瞬時に蘇りました。飯沢さんがおっしゃった「一見地味で派手な写真じゃないけれど、ジワジワっと浸透していく」ということが、よくよく分かった体験でした。
写真展や写真集で皆さんも牛腸茂雄さんの作品をぜひ直接見てみてくださいね。
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