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シャッターを切る前の話【第8回:奇跡も語る者がいなければ】

「ある日パパと二人で語り合ったさ
 この世に生きる喜び、そして悲しみのことを」

「グリーングリーン(日本語詩・片岡輝)」の歌詞、初めて聞いた時に不思議な感じがした。なんでこの世に生きる「喜び」と「悲しみ」のことを同時に話すんだろう。そんなことってある?小学生の僕には、その二つを同じ場で話すことの必然性がわからなかった。だからこの歌詞が嫌いだった。どう言うわけか、心がざわつくから。

そう、ざわついていた。だってその時僕はもうわかっていたから。わからないふりをしていただけだったから。喜びは常に悲しみと一緒にあるって。それはいわば、僕らの生がまた、死と一緒にあると言うことでもあるし、出会うことと別れることが表裏一体であるということでもある。

小笠原に初めて行ったのは2021年の2月。たくさんの出会いに恵まれた。最高に素敵なHotel Pat Innのご家族、特にオーナーの健さんには、小笠原のあらゆることを全部教えてもらった。

お母さんは毎日素敵なご飯を作ってくれた。朝が楽しみすぎて、撮影でくたくたに疲れていても絶対に朝食に間に合うように起きたものだ。


小笠原観光協会のテツさんや、市役所や銀行の人たちとも交流を持てた。観光のお仕事で行ったからだけど、そのみんなが、気持ちの良い人たちで、出会いが嬉しかった。

そんなたくさんの出会いの一つに、船を操るチャッピーさんとの出会いがあった。お歳は60程だったろうか。島一番の船乗り&サーファーで、僕らの撮影が父島の外に出て行くときの全てで、船を操ってくれた。単独では行くことが不可能な南島でのツアーも先導してくれた。歩いているとジリジリと焼け付くような日差しが降りかかってくる。ここは南国、小笠原諸島。太陽も強い。

ふと見ると、チャッピーさんはTシャツを脱いで上半身裸になっている。南国特有のこんがりとやけあがった上半身は、流石に歴戦のサーファー。かっけえ。基本インドアの生っ白い僕は、こんなおっさんになりてえなあと、その後ろからパシャリと一枚。最高にかっこいいでしょ。

小笠原の日々は幸い天候に恵まれ、青空の下で毎日を過ごした。帰る時には涙が出た。小笠原を出る時は誰も「さようなら」とは言わない。「行ってらっしゃい」と送り出される。いつかまた小笠原に帰ることができるように。だから僕も、遠ざかる島の上から全力で応える「行ってきます!!」24時間ネットなしの船旅で行くしかない小笠原の父島。次来るのはいつだろう、来られるのかな。そんなことを思う帰りの船旅。

そしたらなんと、たった一年で再訪ということになった。2022年の最初に、もう一度父島に向かったのは、今度は観光ではなく撮影の仕事だった。タムロンの新しいレンズ50-400mmのキービジュアル撮影を依頼されて、2022年3月に僕は再び父島に向かうことになったのだ。

その時僕は、人生で二回目の激しい精神失調の真っ只中にあった。2つの大きな別れの過程を経ているところで、その負荷が両肩にずっしり乗っている状態で父島に向かった。まともに撮影なんてできる?そんなことを思いながら、24時間の船旅を終えて父島に入った。懐かしい顔ぶれが、港で僕を迎えてくれる。

「おかえりなさい!」

ああ、やっぱりそう言ってくれるんですね。「ただいま!」と、人生二回目の場所なのに、自然とその言葉が口に出る喜びは、鬱寸前でのたうち回っていた僕を最後のところで救ってくれた。そうして撮影が始まる。

2021年の撮影で、唯一撮り逃した被写体への挑戦。鯨のブリーチが今回の狙い。天運に恵まれでもしないと、広大な海で0.2秒で跳ね上がり、海へと沈んでいく鯨を捉えることなんて不可能。無理を承知で、再びチャッピーさんに船をお願いすることになった。

船が出て10分ほどした頃だった。チャッピーさんが不意に「あの辺がいいかも」と指を指して、船を進め始めた。僕には何も見えない。でも歴戦の船乗りの勘が、囁いたのかもしれない。全てお任せして、僕はただファインダーを覗きながら「その瞬間」が来るのを待つ。

徐々に「あの辺」に近づき船が減速していく。小笠原の湾に近いとはいえ、ほぼ外洋に近い波が船を揺らすので、動いているとカメラをまともに構えることができないくらいに体が揺れる。だから、ある程度場所に当たりをつけて停まらないと撮影できない。そうやって選ばれた場所に、チャッピーさんが船をゆっくり近づける。船が停まる。僕は何気なく前に超望遠レンズを向けてファインダーを覗く。その瞬間だった。大きな鯨が、目の前に飛び出してきた。その時の驚愕を、畏怖を、歓喜を僕は生涯忘れないだろう。巨大な生物が、重力と水を纏って、海面から飛び出してきた。スローモーションのように目の前で展開される光景。頭の中は真っ白で、本能的に指がシャッターを切った。高速連射で取り込まれていく鯨のブリーチ。2021年に撮り逃したその姿を、撮影開始わずか10分で完了してしまった。そんなことある?


大きな音と飛沫を伴って鯨が再び海面の下へと帰っていく。呆然としている僕に、チャッピーさんが声をかける

「撮れたかい!?」
背面液晶を急いで確認すること3秒。そしてバッチリ捉えられている一枚を発見して、大きな声で返事をする。
「撮れましたーーーー!!」
サングラス越しでもわかる満面の笑みがチャッピーさんの顔に広がり、そしていう。
「別所さん、持ってるねえ!」
違いますって、持ってるのはチャッピーさんですって。こんなの絶対撮れないもん。だって僕は野生生物の写真家じゃないから。この写真は全部チャッピーさんが撮らせてくれたもの。いずれ額装してお渡ししなきゃなー、そう海の上で思っていた。

そのチャッピーさんが、事故で亡くなられたのを知ったのは、渋谷ヒカリエでの展示の2日目のことだった。

ヒカリエでの展示はとても賑やかで華やかで、僕はそのふわふわするような四日間を存分に楽しんだけど、夜に一人になると、チャッピーさんのことが思い出された。あの日一緒に喜んでくれた笑顔、「別所さん、持ってるねえ!」。暗いホテルで一人でいると、涙が出た。

3日目からは、自分の展示写真の前を通るときに、不思議な気持ちを感じるようになった。何か遠い記憶が、僕の内側から蘇ってくる感触。

不意に、「グリーングリーン(日本語詩・片岡輝)」の歌詞を思い出した。

「ある日パパと二人で、語り合ったさ。この世に生きる喜び、そして悲しみのことを」

ああ、そうか。小学生の時に目を逸らしたことを、僕はここで改めて知る。

僕らは生まれた瞬間に死に向かって歩み始める。人生を死から眺めるとそうなる。ハイデガーはかつて「存在と時間」の中で、死へ先んじることで人間の生が逆照射されることを「死への先駆」と呼んだ。死こそ、生の堕落を防ぐ唯一の契機なんだと、ハイデガーは言う。

逆のようにも考えることができる。僕らは死ぬその瞬間まで生きている。必死に、ただただ盲目的に。

でも、その二つは実は等価で裏表で、生は死であり、死は生なんだろう。生まれなければ死なないし、死のない生は、おそらく無意味だ。「指輪物語」で永遠の命を持つハイエルフたちが、緩やかな滅びに向かっているように。最大限の悲しみである死によって、僕らの命は意味を持ち、輝きを放つ。死に先駆するにせよ、必死に盲目的に生きるにせよ、その二つはワンセットなんだ。

だから、僕らの喜びは、悲しみと一緒にある。悲しいから喜ぶし、喜べるから、ある日悲しみに突き落とされる。別れがあるから、あの日の出会いをこんなにも尊く感じる。

一枚の写真に、小笠原での出会いと、そして突然の別れとが同時に刻まれている。

悲しく辛い別れが心を覆いそうになるけれど、でも自問する。

「この一枚が無かったほうがよかっただろうか?」

断じて否。全ての可能性が、一つ一つその軌跡を辿って集約したこの一枚には、その瞬間だけではない、あの小笠原での2年間を経て得た、大切な大切な「出会い」の道筋が全て集まり、この一枚に導いてくれたのだ。父島の記憶の全てが、僕の人生を支えてくれた瞬間として、この一枚に刻まれている。

別れは確かに、ある時突然に訪れる。そして激しい喪失の中で苦しむことになる。でもそんなことが起こるのは、人生のある一瞬で、出会っていたから。その出会いがなければ、この一枚はなかった。

出会えばいつかは別れることになる。でもその別れを、死を、悲しみを恐れて部屋にこもっていれば、人の生は無へと回帰するしかない。僕らは出会う、だから、僕らは別れる。でも別れたその後に、また誰かに、何かに出会う。

結局いつか全てに別れを告げるじゃないか、そううそぶく人がいるかもしれない。死が全てを覆い尽くすのだ、そんなふうに。でもその最後の別れが来たとしても、僕は誰かの記憶の中に存在し続けるだろう。あなたのことも、誰かが覚えているだろう。そうやって、生と死が、出会いと別れが、喜びと悲しみが、いつも一つの事象を構成する。出会いと別れの記憶が、巨大な編み物のように物語を作っていく。それがこの世界。僕らが生きている世界。

どちらが欠けても、多分立ち行かない。一枚の写真に、その全てが刻印されている。それは端的に、奇跡なのだ。

それを僕は、何度でも言う。この世界で出会うこと、別れること、その全てが奇跡であると。命が消えるその日まで、何度でも語る。奇跡も語るものがいなければ、誰が奇跡と呼びうるだろう。だから僕は語ることをやめない。

ありがとう、チャッピーさん。また小笠原行きます。

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この記事を書いた人

フォトグラファー、文学研究者、ライター。関西大学社会学部メディア専攻講師。毎日広告デザイン賞最高賞や、National Geographic社主催の世界最大級のフォトコンテストであるNature Photographer of the Year “Aerials” 2位など、国内外での表彰多数。写真と文学という2つの領域を横断しつつ、「その間」の表現を探究している。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。日経COMEMOで記事執筆中。フォトグラファーとしての知見を活かして、インバウンドや地方創生事業、SNS運用のコンサルタントなどにも関わる。

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