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シャッターを切る前の話【第5回:苦手な叔父と、人生の特異点、そして飛行機】

これまで叔父のことはあまり大っぴらに話したことがない。あまり好きなタイプの人ではないからだ。中学生や高校生の頃、出会うといつも詰まらない豆知識でマウントを取られた。

「隆弘君、ロンドンの北緯ってどれくらいか知ってるか?」
「え?どの辺やろ、東京くらい?」
「そんなんも知らんのかいな、大体択捉島と同じくらいや。だから寒いんや、覚えとき」

大学院で英文学を研究している時もにもあった。

「隆弘君、Bostonの発音、やってみてみ」
「え???ぼ、ぼすとん?」
「ちゃう、ちゃうわ、バストゥン。バァストゥン。それではアメリカでは通じひんで、ほんまに英文科かいな、ガッハッハっは」

毎度毎度めんどくさいなと思うこと数千回。反論できなくもないんだけど、反論したところでただただ面倒なだけなので、苦虫を心の中で噛み潰して「えー、そうなんやー」と流して付き合うしかなかった。次第に会うことも無くなってホッとしている。流石に40も超えた後で叔父に軽率なマウント取られたくない。

それでも、小学生の頃はその叔父にいろいろなことを教えてもらった。あの頃まだ叔父は若く、中年に特有の嫌味さがほとんどない、好青年だった記憶がある。テニスに連れていってもらったし、キャンプに連れていってもらった。中でも、僕の人生に彼が残してくれた最大の記憶は、確か小学5年生の時に連れていってもらった、伊丹空港の飛行機の聖地。そう、千里川の土手だ。


今では飛行機ファンの間だけではなく、家族連れやカップルも休日には大勢集まる場所に変貌したが、当時はどうだったのだろう。叔父に確認しようかとふと思ったけど、「そんなこと知らんのかいな」とまたもやマウント取られそうなので、やめておいた。ただ、うっすらとした記憶に残っているのは、我々以外にも飛行機を見に来ている人が結構いて、当時から知られていたのかもしれない。叔父が特別飛行機ファンだったという話も聞いていないので、一般人でも知っているくらいには、「飛行機を間近に見られるスポット」として有名だったのだろう。その日も、僕はそのように叔父に説明を受けて、飛行機にそれほど興味がなかった僕を連れ出したのだった。

ところが、いく途中で車酔いを発症した。今では信じられないのだけれど、当時僕は、ほとんど全ての乗り物に酔った。船やバスのようないかにも酔いそうなものだけじゃなく、車や電車でも酔ったし、なんなら公園の揺れる遊具に乗ってても酔った。三半規管が備わってないんちゃうかっていうくらいに、ありとあらゆる乗り物で酔って吐きまくった。特に緊張が加わると良くない。見知らぬ場所へ行くことに加えて、親族でさえ基本的には人見知りしてしまうような子どもだった僕は、予想通り大阪に着く頃にはグロッキーで、目がチカチカするほどだった。

そんな僕を見て叔父はどう思ったのかわからない、あの頃の叔父は好青年だったはずなので、なんとかしてくれたのかもしれないが、実は全然その辺りの記憶がないのだ。とにかくしんどくて、ゲロ吐きそうで、もう早く帰りたいとだけ思いながら、青ざめた顔で窓の外を見ていた断片的な記憶だけが残っている。

だから、その日のその後の記憶はただの断片だ。断片にして、強烈な、まるで写真で切り取ったような瞬間的な記憶だけが、心の奥底に張り付いている。頭の上に覆いかぶさってくる、巨大で強大な鉄の塊の記憶。ひどい酔っ払いの後の胸焼けのような状況で、頭の上を通過する飛行機を見上げた時、胃の底から込み上げてきたのは精神が逆流するような叫び声だった。あまりの巨大さと、あまりの音圧に、10歳の僕はケモノのように叫ばずにはいられなかった。酔いも何も全て吹っ飛んで、その瞬間僕は飛行機に全身の全てを貫かれて、そして魅了された。涙さえ流して、僕はあの千里川の土手で叫びに叫んだ。そこは愛と恐怖をない混ぜにして叫ぶ、僕にとっての記憶の特異点と変じたのだ。

その一瞬の、焼け付くような記憶が形になったのは、それから25年以上経ったある日のことだった。初めて高いカメラを買って、高い望遠レンズを買った時、「そういえば千里川って、まだ飛行機見られるんだっけ?」と思って撮りに行くことになる。思いつきだ、何かが撮れるなんて思っていなかった。ただただ、心の内側で疼く特異点の囁きに導かれるままに千里川に向かったのだ。来る日来る日も、飛行機を撮り続けた。2012年頃の話だ。

そんな日々を過ごした数年の後、僕はある一枚の飛行機の写真で、人生の全てを変えることになる。全てが変わる。ただ一枚の飛行機の写真で。

おかしなものだ。苦手だと思っていた叔父が連れていってくれたあの日の経験がなければ、多分僕はここにはいない。ここで文字を書いてはいない。人生の全てが変わってしまった一枚の写真の源泉が、25年以上前の、あの日に集約している。それはまさに、記憶の特異点であるだけでなく、僕にとっては人生の特異点でもあったのだろう。
その後不思議なことに、僕は乗り物酔いをしなくなった。今では僕は車を何時間でも走らせるし、24時間の船旅も大丈夫になった。あの叔父のおかげなのかどうかはわからないけど、覆いかぶさる飛行機の下で叫んだ時、僕の眠っていた三半規管がようやく目を覚ましたのかもしれない。
ちょっと今度、特大のマウントでも取られてもいいかもしれないね。まだ元気なうちに。

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この記事を書いた人

フォトグラファー、文学研究者、ライター。関西大学社会学部メディア専攻講師。毎日広告デザイン賞最高賞や、National Geographic社主催の世界最大級のフォトコンテストであるNature Photographer of the Year “Aerials” 2位など、国内外での表彰多数。写真と文学という2つの領域を横断しつつ、「その間」の表現を探究している。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。日経COMEMOで記事執筆中。フォトグラファーとしての知見を活かして、インバウンドや地方創生事業、SNS運用のコンサルタントなどにも関わる。

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