毎度毎度タイトル意味不明で申し訳ないっす。
それはさておき、この意味不明のタイトルから読み取れるたった一つの情報が示す通り、ライカのM10RをGOOPASS※で借りたんですよ。で、借りて数日後に大雪が降ったんすな。なんていう天命、持ってるなワイ。で、その時撮った写真が良き寄りの良きで、自分でもニタニタしながら、こんなツイート書いたんですね。
※MARSHの運営元・GOOPASS株式会社が提供する、カメラ・レンズなど撮影機材のサブスクリプションサービス。
全く同じ場所に持って行っても、ライカだと撮る方向も切り取る対象も全く変わってくるのが個人的に面白い。こういうの、αでは撮ってない。映画のワンシーンのような、と言う表現はあまりしないんだけど、そうだな、何かライカと結びついている映像表現の歴史がそこにかぶさる感じは確かにある。 pic.twitter.com/gwXUGgCKHx
— 別所隆弘 | tbessho.eth (@TakahiroBessho) January 22, 2022
クソ意味わからん。わからんすぎて草生えて原生林。中でも特にここ↓が大草原ブレスオブザワイルド。
つまりライカは僕にとっては、ある意味では自分の表現に対する他者性を確保する役割を担ってきてる気がしてる。僕はこうであり同時にこうでない。その二律背反が、写真の事実性というドクサを解体してくれることを願う。多面的で相互に矛盾したフィクションのみが、事実を影として示唆すると信じてる。
— 別所隆弘 | tbessho.eth (@TakahiroBessho) January 22, 2022
やばい、さっぱり意味わかんない、誰か訳してせめて地球語に。この人完全にチャクラ開いちゃって、そこから変なエナジーが噴出してる。こっわ俺。

でもライカって多分、こうやってちょっと撮り手のチャクラを開いちゃう機能が、どこかに備わってるんすよね。
とはいえね、ここに書いたこと、確かに意味不明なんだけど、意味不明なりにその瞬間感じてた「重さ」の印象はよく伝えてるんです。その重さとは、ライカの背負った歴史であり、そしてその歴史の中で作られてきたライカの光と影の解釈。ライカのシャッターを押すと言うことは、そのシャッターを押す前に、先人たちが作ってきた歴史自体を重ねてシャッターを押すことに他ならないんですよ。
やっば、意味不明。チャクラまだ開いてる。

でもね、だからこそライカは、上のツイートで書いてるみたいに、いつもと違うもう一人の「自分」を駆り立ててくれる。まるで歴史との対話のように、ライカの解釈する光と闇を見たくて、普段は全然シャッターを切らない方向へと、自分の目が向かう。Unstoppable。あ、これはあれか、N社のフラグシップだ。ごめんごめんご。

通りすがりのどこかのアパートの横の壁、ビルの隙間から届く光が照り返す足元。名もなき空間にもたらされる光と闇の祝福。普段ならそんなポエミーな感慨など催す暇もなく、ただ傲然と襲い掛かる現実に忙殺されて歩き過ぎるだけの道。そんな道を、ライカとともに歩くだけで、ふと足が止まる。この光をおさめたい、チャクラ開きまくりガバガバやぞ。やだ、ほんとこわい、てかもはやキモい。

でも、こんなふうに自分を茶化してでもいないと、このワクワク感が止まらないんだわ。レンジファインダーの像が現実の「それ」と合致した瞬間にシャッターを押す。それは世界を切り取り、光と闇をその小さい筐体の中に収めるという、カメラのささやかにして原初の快楽の全てを凝縮したような、秘密の儀式じみた喜び。そう、その瞬間に僕らはライカと、ライカの培ってきた歴史と、小さな声で対話をする。

村上春樹はかつて言った。
「良いニュースというのは、多くの場合小さな声で語られる」
写真家にとって、耳元で鳴る湿度の高いあの独特のシャッター音こそ、小さな声で語られる良いニュースそのものだ。それは今のあなたの写真を問うだろう。それは本当に見たかったものなのか?と。惰性のようにシャッターを切ることに慣れていた自分が解体されていく。その先に待つ新しい光を浴びた、新しい自分が待つ。
やっば、チャクラまだ閉じてへんやん。でもええよね、たまにはこんな自分に出会うのも。それがライカ。



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