人気バラエティ番組『水曜どうでしょう』のカメラ担当ディレクター・嬉野雅道さん。
裏方ながらタレント顔負けの人気・地名度を誇る、『どうでしょう』ファンから一目置かれた存在です。
映像ディレクターとして活躍する傍ら、これまでには私物のフィルムカメラで『水曜どうでしょう』のロケ中に撮影された写真集を2冊出版されており、実はフィルムカメラ愛好家・フォトグラファーとしての顔を持つことでも知られています。
今回のインタビューでは、嬉野さんにカメラを始めたきっかけや、写真について伺いました。
(写真:冨永悠奏)
嬉野さんとカメラ

ー本日はよろしくお願いします。嬉野さんは『水曜どうでしょう』のロケ中に撮影された写真集を2枚発売されていますが、『水曜どうでしょう』が始まる以前も、趣味としてお写真を撮られていらっしゃったんですか?
嬉野さん:親父がカメラ好きだったから、家にカメラがあったんですよ。
私が小さい頃って、カメラは“機械好きのおじさんが持ってるアイテム”みたいな感じだったんですよ。
どの家庭にもカメラがあるわけじゃないから、写真はカメラを持ってる(近所の)おじさんに写真撮ってもらう、みたいな。
でも、そのまだカメラが今ほど一般的ではない時代に、ウチにはカメラがあったから……ちょっと気になったみたいなところがあったんです。
あとは、一眼カメラのファインダーを覗くと、ちょっと(見え方が)裸眼と違うじゃないですか。
レンズを噛ませて、中のミラーが反射して、スクリーンに映って……。
その見え方が、割と好きだったんですよね。
だから、写真というか、カメラとかレンズとか…/機械そのものが好きだったのかもしれないですね。
ー嬉野さんが物心ついた時には、もう身の回りにカメラがあったのでしょうか?
嬉野さん:あったね。8mmフィルムカメラもあったんですよ。
うちの父親がそういうの好きだったんでね。
ーすごいですね(笑)お父様は映画監督か写真家をされていたんですか?
嬉野さん:高校の教師でした。
(僕の)実家はお寺なんですけど、檀家さんがもうほとんどいないから、それだけではちょっと心細いな、ってことで兼業してたんですよ。
当時は今と違って、学校の先生って夏休みが長いし、冬休みもあるし、春休みもあるし……。
家業のお寺を取り回すのに、一番便利かなという目論みがあって、学校の教師になったんですよね。
ーお坊さんと教師の兼業ってすごいですね。
嬉野さん:お寺だけじゃ心もとないですからね。
学校の教員って、長期休暇があるから、ちょうどお盆のあたり、お寺が)一番忙しい時に(学校は)夏休み、みたいな。
僕は三人兄弟なんですけど、子供が育っていくのを多分記録に残したかったから、彼も(カメラを)買ったのかなと思うんですよ。
ー嬉野さんご自身が、一番最初に写真を撮られたのは、何歳ぐらいの頃だったんでしょうか?
嬉野さん:小学校に入ったくらいじゃないですかね。
そんな小っちゃい時に、親父が本格的なカメラを持たせるわけないから……たしか、小学校の6年生ぐらいの時に、バス旅行か何かのイベントで小っちゃいカメラを持たせてくれた気がする。
当時はハーフ版、36枚撮りのフィルムで72枚撮れるカメラがあったんだよね。
ーハーフカメラですね。今でも一部で人気があります。
嬉野さん:でも、一眼カメラとはファインダーが違うから。
だから、すごく嬉しかったかって言われると、そうでもなかったね。
ーちょうどその頃って、親の持ち物が輝いて見えますよね。子ども用の物では満足できないというか。中学・高校では、学校の写真部には入られていましたか?
嬉野さん:学校に写真部があったかどうかは記憶にないんだけど、モノクロの写真を撮っていましたね。自分の家で、薬品を使ってフィルムを現像して……。
ー自家現像ですか!すごい!ご自宅に暗室があったんですか?
嬉野さん:暗室はなかったんですけど…夜になると、大体暗室みたいなものじゃないですか(笑)でっかい引き延ばし機で、印画紙に投影して、時間を計って……(現像を)やってましたね。
ーその時はどんな写真撮られてたんですか?
嬉野さん:友人の写真を撮っていました。
ーその時には、もうお父様のお下がりの一眼レフを使用されていたんですか?
嬉野さん:はい。ミノルタのカメラを使っていました。
ー念願の一眼レフですね。高校を出てから、『水曜どうでしょう』が始まるまでの間も、一眼レフで写真を撮られていたんでしょうか?
嬉野さん:いや、あんまり撮っていなかったです。『水曜どうでしょう』が始まってから、本格的に再開したと思います。
嬉野さんと『水曜どうでしょう』

ー『水曜どうでしょう』で、カメラを再開されたきっかけを教えていただけますか?
嬉野さん:『水曜どうでしょう』っていう番組が始まって、たぶん僕自身、非常に居心地が良かったんでしょうね。番組の4人だけで旅をして、移動して……の繰り返しで。
でも、会社で作ってる番組だから、半年ぐらいで終わるかもしれないし。
「この番組がどれぐらい続くんだろうか?」って考えるた時に、「記憶に残したい」「個人的な喜びとして、これを記録にとどめたい」と思って、ロケにカメラを持って行って、写真を撮っていたんですよね。
でも、カメラで写真撮ってても、何かその……使い道がないんだよね(笑)
どこかに発表するために撮っているわけではないし、当初はエンディングにも写真を使ってないし。
別に写真を使わなくたって、動画のスチルを挟み込んでいけば、写真っぽくなるし。
撮られているタレント2人(鈴井貴之さん、大泉洋さん)から見ても、やっぱり謎なんですよ。
写真撮ってるし、特に発表もしてないし……非常に怪しんでいたと思います(笑)。
『また、写真撮ってるな』みたいな、皆に訝しまれながら撮っていた感じがありました。
僕としては、それが楽しかったんですね。
「この被写体は残したい」って思っていましたし、何より被写体の2人に対して愛がありましたから。
ーたしかに、写真集からは被写体に対する愛を感じました。
嬉野さん:そもそも「水曜どうでしょう」って番組は、会社が望んで作り始めた番組じゃなかったから、会社も「水曜どうでしょう」には関心がなかったんですよ。
おまけにローカルだから北海道以外では放送されていない。
くわえて深夜番組だったから、北海道でも見ている人は限られている。
もうね、今と比較したら誰も見てないに近いひっそりした番組だったと思います。
でも、現場にいる我々だけは楽しくてね、ワクワクして、賑やかで。
だから僕らだけは、番組開始当初から幸せだったんでしょうね。
それが1996年から2002年まで6年間続いていたんです。
ところが、1996年に始めて2002年、2003年になって、『水曜どうでしょうDVD全集』を発売し始めたら、これがいきなりオリコンのチャートにランクインしちゃった。
「なんだのこの番組、いきなり3位に入ってる。どういうことなの?」と全国的に騒がれて、そこから取材が殺到したっていう。
あれは、”発見された”という表現に近かったと思います。
でも、全国的な知名度を得たら番組撮影中の写真を撮ることにも意味が出たんでしょうね、今度は色々な関係者が写真を撮りに来るようになりました。
そうなると私の聖なる時間に他人がドヤドヤ入り込んでくるようでね、「ひっそりとした私の思い出づくりの時間は終わったなぁ」と思えてきて、写欲はいっきに萎えましたねぇ。
嬉野さんのカメラ

ー『水曜どうでしょう』のためにコンタックスを買われたんですか?
嬉野さん:それまでもカメラを使ってたけど、カメラのことをよく知りもしなかったのね。『水曜どうでしょう』をやりながら、色々機材を調べて、レンズ増やして……みたいな。
ーその当時って、もうデジタルカメラが登場している時代でしょうか?
嬉野さん:いや、出てないんじゃない。出てないです、96年ですね。2000年頃は、まだフィルム一択でした。
ーそういえば、コスタリカロケの際も、中判のフィルムカメラを持って行かれてましたよね。
嬉野さん:あれも大きな勘違いだったね(笑)コスタリカのジャングルに行って、美しい鳥を撮るっていう企画でさ。良い画質で撮りたいなと思ってね、それでなんか66判のでっかいペンタックスを持って行って、全部マニュアルで撮ったんだよね。『そんなの持ってきてどうするんだ!』って怒られたりね(笑)。ジャングルなのに機動性無いしね(笑)でも、そういう失敗があったから、ああいう番組になったんですよね。
ー確かに、あのエピソードが1つの味になりましたね(笑)現在はカメラを何台ほどお持ちなんでしょうか。
嬉野さん:2000年頃に中古でカメラを買ったんですよ。ローライと、ハッセルブラッド……
ー現在お持ちのカメラは全てフィルムカメラなんですか?
嬉野さん:そうです、そうです。
ーなるほど。これまでデジタルカメラに触れる機会っていうのは無かったのでしょうか?
嬉野さん:無かった。「デジタルに移行するためには、パソコンを使って処理しないといけないんだろうな」って思った瞬間に、気持ちが普通に入らなかった(笑)
ー実は最近、フィルムブームが起こってるんですよ。でも、それに反して、フィルムの価格が高騰しているという…(笑)
嬉野さん:あ、そうだよね。でも、フィルムよりもデジタルの方が画質がいいんじゃないですか。感度も良いし、暗いとこ撮れるしね。
ー最近のデジタルカメラの画素数・画質はすごいですよ!先ほどのフィルムブームに乗って、“フィルムライク”という言葉がありまして……要はフィルムっぽいテイストの写真なんですけど。あえてそのデジタル撮った写真をフィルムっぽく加工して、SNSにあげるのが流行ってるんですよ。デジタル全盛期にアナログが注目される、なんだかあべこべな時代になってるな、という印象があります。
嬉野さん:いやでもね、それはきっとあると思うんですよ。『水曜どうでしょう』も、要するにデジタルカメラで撮影した映像(を流す番組)でしょ。デジタルの映像って、何か今を映してる感じするんですよ。一方のフィルムは、過去のものっていう感じがするんですよね。
いつも使ってるソニーの小っちゃいビデオカメラは、データスピードをノーマルから1/60に落とすと、画質が劣化するんです。画質が劣化すると、いい感じの“フィルムライク”になるんですよ(笑)
物語っていうものを作るためには、フィルムライクな画質の方が絶対いいんですよ。
今ではなく、過去を写している感じがするから。
嬉野さんの好きな写真家

ー嬉野さんが影響を受けた写真家の方はいらっしゃいますか?
嬉野さん:いますよ。桑原甲子雄(くわばら・きねお)さんっていう、カメラマン。たしか、元々写真雑誌の編集か何かをやってたんじゃないかと思うんですけど。かなり昔の方ですね。
ちょっとお金持ちのお坊っちゃんだったんでしょうね。当時(高価で)持てないライカを持てるぐらいだったので。
土門拳さんとか、木村伊兵衛さんとか、貫録のある人たちと違って、甲子雄さんはね、何て言うか……スナップみたいに東京の街を撮るんですよ。
本当に懐かしい気持ちになるような風景なんですよね。
だけど、あれは簡単に撮れんだろうな……と思うんだよね。
あとは、可愛らしい女子高生とかの後ろ姿とかあるんですよ。
どこか気が小さいから、可愛い子を見かけても、声かけられずに、後ろから撮ってるんじゃないんかな。
聞くところによると、どうやらそういう人だったらしいんですけど。
ーなるほど。桑原さんの写真、肩の力が抜けた、すごく素敵なお写真ですね。どことなく、嬉野さんの撮られるお写真のルーツを感じました。
嬉野さん:桑原甲子雄さんの写真は、そのまま時間と空間をフリーズして、日常的な、劇的でもなんでもない、おじいさんとか兄ちゃんとか子供とかが遊んでいる姿を、ちゃんと見ごたえのあるものにして収められているんですよね。
時間の流れを残したいっていう気持ちがね、カメラとか写真には不思議と付きまとうのかもしれない。
「何かを残したい」っていう欲求は、どこかで「時間切れになるかもしれない」っていう、焦りのようなものがあるのかもしれないですね。
ー『どうでしょう』も、最初は「とりあえず半年間」で始まった番組ですものね。
嬉野さん:そうそう。ちょっと話は変わってしまいますけど、少し前のカメラ雑誌で、「たまたま発見された戦前のフィルムを現像してみた」みたいな特集があって。
それは、何の変哲もない土間が映った、そんなに大して立派でもない普通の民家の玄関の写真だったんですけど。
台所とか、縁側とか、庭とか、日常的な風景が十数枚映ってたんです。
大昔に撮影された日常的な風景が、60〜70年経ってから現像されるっていうのが……なんだか、ちょっと良かったんですよね。うん、上手く言えないんだけど。
もしかすると、徴兵前に写真を撮ったのかもしれない。そのまま(無事に)帰って来れなかったのかもしれない。そう思うと、その写真を撮った人も、やっぱりに日常的なものに、一番執着があったのかもしれない、と思ったんです。
そういうのが、割と私の好みみたいです。
カメラと、そういうものが紐づいてくるわけですよ。
日常的なものを大事に思う心と、それを記録に残しておきたいっていう欲求……。
さっき(好きな写真家として)名前を挙げた桑原甲子雄さんは、まさに何十年もの間、戦前から80年代にかけての東京を、撮っている写真家なわけで……すごく憧れがありました。
写真1枚を劇的に見せるんじゃなくて、写真集に収められた何百枚もの作品を一気に見る中で、東京の過ぎていく時間の流れをイメージできる気がするんですよ。素敵だな、と思ってね。
ーその時代の東京って、たしかに撮っていて楽しそうですね。町並みなんて、どんどん変わっていったでしょうし。
嬉野さん:そうだよね。私にとってのカメラは、多分そういうところに趣味嗜好があるんじゃないのかな。日常的な風景を、時間が経って変わってしまう前に記録に残しておきたいのかもしれない。
ー嬉野さんにとってのかけがえのない日常が、当時は『どうでしょう』のロケ中だった、ということですよね。
嬉野さん:そうそうそうそう。非常に幸せな6年間でした。
嬉野さんの写真集

ー最後に、その幸せな6年間が収められた写真集について伺います。写真集を拝見して、「嬉野さんは、本当に大泉(洋)さんと仲良いんだろうな〜」と感じました。
嬉野さん:スタッフ全員と仲は良かったですよ(笑)
ー失礼しました(笑)、言い方が悪かったですね。大泉さんのカット数が多かったですし、何より大泉さんが自然体の表情で収められていた気がしたので……。
嬉野さん:あ、そうね。鈴井さんは撮られたがらないとこあるからね。大泉さんって、全然ウェルカムだから。ついつい大泉さんの方に行っちゃってたのかもしれない。
ー本業のお仕事で撮られている映像のお仕事の部分と、その合間にプライベートの記録として残されている写真で、意識の違いはありますか?写真集の方は、大泉さんなど被写体の笑顔がとても印象的に残っているのですが。
嬉野さん:個人的な写真を撮影する時はオフショットばっかりだけど、番組本編の映像を撮影する方は仕事だから。気が抜けないところはあるよね。
多くの人の目に晒される本編を回しつつ、そこからこぼれている部分を残したいっていう、「写真と映像、仕事とオフショット、両方で一体にして保管したい」という気持ちがあったんじゃないですかね。
ーこれまで職業柄、プロアマ問わず色々な方の写真を見てきたんですが、きっとこの(写真集に掲載されている)大泉さんの表情は、おそらく嬉野さんじゃないと撮れないんだろうなと思いました。
嬉野さん:たしかに、写真は(撮る人と撮られる人との)関係性が出るかもしれない。
ー出ますよね。もちろん、関係性もそうですし……それに加えて、さっきの言葉をお借りすれば、嬉野さんも、桑原さんのように、何気ない日常の風景を撮れる方なのかもしれない、と感じました。
今はあまり写真を撮られていないとのことでしたが(笑)、嬉野さんがフィルムでもデジタルでも構わないので、『どうでしょう』終了以降の、日常をどんな風に写すのか、とても興味があります。
嬉野さん:なるほど。ありがとう、いつか見せる時が来るかもしれないね(笑)。
ーその日が来るのを心待ちにしております(笑)本日はありがとうございました!

INTERVIEWEE:嬉野 雅道 (うれしの・まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。『水曜どうでしょう』カメラ担当ディレクター(HTB 北海道テレビ放送)。大泉洋主演ドラマ「歓喜の歌」ではプロデューサーを務める。安田顕主演ドラマ「ミエルヒ」では企画、プロデュースを担当。同ドラマはギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞した。愛称は「うれしー」。著書に『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(KADOKAWA)、共著に『腹を割って話した』(イースト・プレス)『なんだか疲れる』『現在地』(烽火書房)など。
■OFFICIAL WEB SITE:藤村・嬉野のHP|ディレクター陣【公式】
■Instagram:嬉野珈琲店(嬉野雅道)




