これまでの人生のなかで「よっしゃー!」という瞬間はいくつかあった。得られたときの喜びは強いし、その後もルンルンだ。

39年間も生きていると、だいたいのことは予想がついてしまう。どれぐらい嬉しくて、どれぐらい悲しいのか。やる前もやったあともなんとなくわかる。

『鈍感』という言葉に悪いイメージを持っている人がいるかもしれないが、悲しい気持ちにも鈍感になる。年齢も関係しているのだろう。ネガティブで落ちやすい僕としては年齢を重ねることで救われていることがある。10代、20代のときはきつかった。
社会人になって友達とお酒を飲み、酔った帰り道になんだか無性に悲しくなって、ひとりでボロボロと泣いたことがある。今、思い返すと精神的にいろいろときつかったのだろう。決して楽しい思い出ではないのだが、あの頃の自分がちょっと羨ましいときもある。もう、今は泣けないだろうな。

感情むき出しの人が羨ましい。なぜなら子どものときの気持ちを失っていないからだ。鈍感ではなく敏感。苦いものには苦い! と反応し、辛いものには辛い! と反応する。
鈍感になることで悲しみの感じ方が変わり、生きやすくなった一方、喜びにも鈍感になってしまった。

そんな僕が最近、大きな喜びを得る出来事があった。Leicaの新製品のプロモーションと写真展を行うことが決まったのである。今までの自分の写真のすべてが報われるような気持ちになった。
ただ、終わったあとで人生で初めての感覚に襲われた。喜びを得たあと、怖くなってきてしまったのだ。
「あんなに嬉しかったはずなのに……」
いや、あんなに嬉しかったからこその反動なんだろう。制作期間中は余裕がなくて気が張っていた。とにかく前しか見ていなかった。
たぶん、疲れもあったのだと思う。身体は疲れているはずなのに気持ちだけで乗り切っていた。だからこそ終わってひと段落した頃に不安や悲しみが襲ってきたのだと思う。

リビングの床で寝ることが増えた。ずーっと寝ているとフローリングの床の繋ぎ目の痕が胸部やお腹に付く。凹んだ痕を見ても何か思うわけでもなく、寝返りを打つだけ。
子どもの頃はテレビゲームに夢中だった。その名残もあってか、休憩時間によくゲーム実況者の配信を見ている。
「ゼルダの伝説かスト6配信している人いないかな」
アーカイブではなく配信している人を探す。画面越しに見ているだけなのにライブ配信にはライブの熱量がある。同じ内容でもアーカイブじゃダメなんだ。
身体が痛いなと思いながらも配信を見る。コメント欄を見ながら世の中にはいろんな人がいるんだな、とぼんやり考える。
当然、仕事はしなければいけない。仕事、ご飯を食べる、休憩の繰り返し。



休憩時間はとにかく床に寝た。ベッドに寝れば身体が痛くなくて済むのに、なぜか硬いフローリングの床を好んで使っていた。
もしかすると子どもの頃の感覚に戻したかったのかもしれない。小さいときはベッドではなく布団だった。布団を押し入れにしまうと寝れる場所は床しかない。座布団はあったが、床のほうが冷たくて気持ち良かった。
テレビゲームと床に寝る。幼少期、僕にとって多くの時間を費やした居場所だった。

「あー、落ちているな」という感覚が自分のなかにあった。常にイライラしてというよりはイライラしているというのを自分に言い聞かしているような感覚だ。変に聞こえるかもしれないが、イライラしている自分に酔っていた。
だいたいこういうときは最低な対応しかできない。身近な人、とくに妻には迷惑をかけてしまう。口ではうまく話せなくて、妻が出かけたあと、LINEで謝る。
いい加減、大人になれよと思うけれど、これでも成長したほうだった。昔の自分だったら何もできなかった。ただ、黙って時間が流れることだけに身を任せていた。
こういうときはゆっくりと時間をかけないと回復しないことを僕は知っている。うつの経験が大きい。謝ることにも体力を使い、その反動で動けなくなることがある。だから焦らず、ゆっくり。大丈夫。大丈夫。


いつの間にか床で寝ることは少なくなっていった。写真を撮る時間が増え、撮れることの喜びを感じる。道路に落ちているゴミを見る。すぐさま近づき、シャッターを切る。上半身にフローリングの痕を付けて寝転がっていた自分の姿と重ねる。
「いいね」
撮らせてもらったあとに声をかける。

model:mou(@mou_ne00)
今回使用したカメラ・レンズ
FUJIFILM X-Pro3

フジノンレンズ XF23mmF1.4 R

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