どうもこんにちは。
相澤です。
今回は私的事情による時間的制約などの理由で一緒にさんぽするお相手をアテンドするタイミングが取れなかった為、少しいつもの企画を外れ、一人で散歩をしてまいります。
わたくしのようなじじぃのひとり散歩の模様なぞ需要がないのは十分承知しておりますが、これはこれで写真を学び始めた頃の気持ちを思い起こして写真を楽しんで撮って参りました。
ぐだぐだと枚数だけは多いので写真が好きで更に暇で仕方がないというお方だけで結構ですので、ご覧になっていただければと思います。
今回編集さまよりSIGMAのdp1 Quattroを預けられました。
このカメラ、しっかりと使ってみたかったので大変楽しみです。
まずはテスト撮影分を数枚ご覧ください。

我が家で育てているビカクシダです。
このカメラを受け取り、最初にシャッターを押した写真です。
貯水葉の葉脈や星状毛など、自然が生み出したそれぞれの独特な形状を奥行きのある繊細な描写で写し出してます。
この1枚目の写真をPCに取り込んでその描写を確認したとき、スタジオアシスタントになって初めて仕事で関わった撮影で上がってきた4×5のポジフイルムをルーペで見せてもらった時の記憶を思い出しました。
「写真ってこんなに綺麗に写るんだ」
あれは確かとても偉い先生が作った陶器の物撮り写真で、ある美術館収蔵作品の記録用写真でした。陶器のなんたるかなど私にはまったくわかりませんでしたが、その作品から無条件に漂っていた存在感(そう聞かされていたからだと思いますが)がはっきりと写真に写し出されており、目の前にその作品が存在し、まるで浮かんでいるかのような感覚を覚えたものでした。
これはいいカメラだ。うんたぶん。
電源の立ち上がりやAFだの諸々のレスポンスが悪いのは最初のうちはイラつくわけですが、これは一般的なカメラの高性能に慣れきってしまったせいでしょう。しかしカメラと自分が噛み合ってない恋愛初期のような状態もそれはそれで悪くないです。
もちろんその出会って間もないもどかしい感覚も徐々にどこかへ消え、使っているうちに身体に馴染みます。
このカメラはしっかりと写す対象と向き合い、そこにエネルギーを注ぎ込む事で特別な画を与えてくれそうな予感がします。

これはスナップ撮影でこのカメラがどう動くかを確認するために仕事の空き時間にテストしたものです。
紅葉とシャドー部の描写がたまらんですね。

これとか地味に好きな一枚。
朽葉色に色付いた葉それぞれの濃度がしっかりと写っていて位置関係が読めますね。
通常のカメラですと、葉っぱたちが真っ黒になっても文句は言わないくらい厳しいシチュエーションです。

こちら御成門です。
おなりもん。
おなりもん。

西日が当たる松の葉拡大したくなる。

こちらおともだちのデザイナーYuvi Kawanoさま
もう10年近くの付き合いになります。
いつもありがとう。
後ろに写るのは迎賓館ですね。

最後のカメラレビューにも書きますが、写す際に発生するある種の制約や不自由さを強いられるあたりが昔の写真修行時代の写真行為を思い出すようなカメラでして、撮っていて非常に懐かしい気持ちになります。
なんかこのカメラ楽しいな。
というわけでテストで撮った写真はここまでです。
ここからは新宿から四谷への往復路を散歩してスナップしてきた写真を掲載していくことにしましょう。

さてさて新宿駅を降りて、色々撮っていくわけですが、「目に入って撮りたくなったものは、ひたすら撮れ」って言われてたんですよね。当時。

当時はスタジオで朝から朝まで働いて、その帰りに眠いながらも一眼に35ミリレンズをつけてスタジオのある四谷から新宿までを歩きながら日々スナップをしていました。
当時はミノルタのα507とかCanonのF-1にFUJIFILMから発売されていたポジフィルム、ASTIAをカメラに入れていました。


これなんかは掲載ダメって言われるかもしれないけど、ダメって言われたものはいつか自分のSNSで載せますので、みなさまそちらをご覧ください。

当時はまだ若かったので、写真を撮る際にいい光を探したりとか、構図を整えてしっかり画作りをするなど作為ありきで撮る事がかなり多かったと思います。当時の自分が理想とする写真を撮りたいという欲を原動力にして動いていた感じですね。目の前のさまざまな被写体を照らす光がレンズを通してどうフイルムに反応するのか、さまざまな環境状況のもと、ためつすがめつしながら経験値としてデータをたくさん仕入れたかったんですね。
そういった日々思考しながら撮りためたデータを収集して、写真を思うようにコントロール出来るようにすることが当時の至上命題だったように思います。
それはそれで通過点として欠かせない大事な時間でした。

今の高感度に強くなったカメラですとささっとシャッター押して通り過ぎてしまう場面ですが、路地の暗さでISO100ですとしっかりと立ってブレないようにカメラを構える必要があります。そうやって発生する時間が被写体を良く観察することを覚えるんだと当時の先輩方に教えられました。当時は先輩方がどういう意図で何を言っているのか良くわかりませんでしたね。




今回は、というかいつもどのカメラでもそうなんですが、ホワイトバランス、色温度設定は5200Kにしています。

泣いてるのかと思ったら壁に向かって本を読んでました。

いやいいなぁ。この奥行き。
小さい範囲ですが、車それぞれに映り込んだグラデーションの再現素晴らしすぎ。
アスファルトのビルからの反射光と実際の太陽光の照射の違いがしっかりと写ってる。
総じて写真の色が嘘っぽくならないです。
あ、でもこの写真掲載できないかも。

直射する太陽光とシャドー部の再現性もさることながら、アスファルト面の右から左へのグラデーションね。
たまりませんね。

ビルの谷間に終わりを迎えそうな山茶花がありました。
日陰の柔らかい光がうっすらと照らしているこういった微妙なトーンを非常に繊細に表現してくれますね。
余談ですが、形の似ている椿と山茶花の見分け方ですが、こうやって花びらが単独1枚ずつで散っていくのが山茶花です。
椿は花びらを含めた花が一度にまるごと全部落ちます。

ちょっとね、さすがにこの状況では飛んで沈んでが混在してしまってますが、私はあまり気になりません。

私の影が角刈りみたいになってますがここは可憐なお花に集中してください。

めっちゃ美味しそうなセイヨウタンポポ。
あ、うちのカメが美味しそうに食べるんです。タンポポ。
ちなみに今はみんな冬眠してます。

ドラミちゃんを見つけました。
ずっとここにいるんでしょうね。

本当に安全を第一にしているのでしょうか。


建築物とか写すのもいいかもしれませんね。
きっと建築家こだわりの細かな写りにくい箇所も綺麗に拾ってくれるんじゃないでしょうか。
知らんけど。

うーん。
そうですね、やはりこのカメラは少なくとも手にしてしばらくのうちは「出来事」ではなく、トーンをまず優先して写したくなりますね。
現行出ている一般的なカメラ達に比べると、どうしても出来事や瞬間を追い求めるのはいささか確率の低い作業になってしまうのですが、このセンサーで素晴らしい出来事や瞬間を追い求めるのもなかなかのロマンですね。
しかし、昔のフイルムカメラではみんなそれをやってたわけですから当然出来るはずなんだよな。
人間楽を覚えるとダメですね。

料理屋さんの壁に干してあった鍋。

いずれ白い花を腰を据えてじっくり撮りたいと思いました。



スタジオマン時代は知らない人に声かけて写真撮らせてもらうって事をずっとやっていまして、今回それを思い出し、この日も新宿で数人に声をかけ、2人ほど美しい女性の肖像を撮ることができました。
残念ながらネットメディアの掲載は丁重にお断りされましたが、この場をお借りして感謝を伝えたいです。
おふたりとも非常に美しいお方でした。

このカメラって、これから写真をしっかりと向き合いたい人が最初の一台として使ったらものすごく写真を理解しやすいんじゃないだろうか。
制約から生まれるものっていうのもは結構ありますからね。そこを見出すにはとても力になってくれそうです。




さぁ、そんなこんなで私が若かりし頃に働いていたスタジオが見えてまいりました。
以前は四谷スタジオという名称でしたが、私が卒業して少ししてからスタジオD21という名称に変更されています。

エントランスより中に入ろうとしてふと横に目をやると後輩の野村青年がなにやらスタジオの壁を背に、波止場で水平線に沈みゆく夕陽を眺めるイメージトレーニングをしています。
野村青年は非常に心優しい優秀なスタジオマンで、来年令和5年の2月でスタジオを卒業し、次のステップへと進んでいきます。
街やネットで見かけたら是非とも野村青年を応援してあげてください。
よろしくお願いします。
そういうわけでちょうど良かったので、ちょっとだけイメトレを中断して散歩に付き合ってもらいます。
せっかくなのでこのカメラで人物を写した描写の一例としてご覧ください。

なんでこんな意味ありげな表情してんねんとお思いの常識人の方々もおられると思いますが、この時私から野村青年には下記のように伝えました。
結婚して7年、今日も嫁から「お願いだからもうギャンブルはやめてほしい」と泣きつかれるも、投げ捨てるようにそれを振り払い、いつものように嫁の財布から金を抜き取りギャンブルに出かけ、結果生活費全てを溶かしてしまった事を忘れるためにもワンカップを片手に帰宅したところ、いつも出迎えてくれるはずの嫁が荷物とともに居なくなっていた。すぐ戻ってくるだろうと高を括っていたが、連絡がつかないままあっという間に半年が経過し「こんなだめなおれに優しくしてくれたなんて、あぁ、いい女だったよな。おれはなんてだめな男なんだろう」
といまさら気づいた昭和ダメ男の気持ちでカメラの前に立ってくれと。

いやいや、野村青年すごくいいですねぇ、これは完全に嫁に逃げられていると言ってもいいでしょう。(フィクション)

存在と孤独ですね。

素晴らしいです。

人は傷を重ねるうちにこんな道端に咲いた花にも目が配れるようになってきます。

かっつり西陽が当たっています。
非常にいいです。

野村青年、こんなにも演じることができるなんて。


お願いだから帰ってきてくれアンジェリカ。
心の叫びが伝わってきます。

やはり肖像を撮っていると、その人の半生を感じてしまいますね。
それまで居てくれて当たり前だった人が自分の不甲斐なさが原因でそばから居なくなってしまった悲しみに覆われているのに道ゆく女性にはしっかりと目を奪われたり、そしてときには未練を振り切り前を向いて進んでいこうと強い意志を固めたその瞬間道ゆく女性にしっかりと目を奪われたりと、被写体の心の中に無意識に訪れる微妙な変化と動物としての欲の訪れに触れることができます。
フィクションなんですけど。

彼は今も嫁との思い出を断ち切ることが出来ずに7年暮らした家から出ないで嫁の帰りを待ち続けています。
フィクションですが。

野村青年、お付き合いありがとう。
来年頑張ってね。
今度バンビで飯おごる。
フィクションね。

そんなこんなでそろそろ四谷を出て新宿に向かいたいと思います。
なんせ陽が落ちるとほとんど撮れなくなってしまいます。

四谷といえばそう、しんみち通り。

私がスタジオマンの頃にはこんな薬局無かったです。

色々美味しいお店があるんですけど、許可取り大変なんでスルー。

配電機器ボックスに展示されてる子供たちが描いた絵を観るのが好きです。
これらの絵を観ると開催して良かったと思います。


お犬様がラインを超えないように招いてくれます。
立ち寄りたい。

これはタイトルに使用した写真ですね。
真ん中あたりにいるのが私です。
ブレた際の描写もなんかちょっと独特です。
ちゃんと写真の階層があるといいますか、アナログっぽい。
これはセンサーの仕組みからそう感じるんでしょうか?
詳しい人、いつか教えてください。

シャッター1/10なんでちょっとブレてるんですけど、いいですね。
この感じはこのカメラじゃないと写らないような気がします。

いや惚れ惚れしますね。
旅行先の風景を撮り溜めるのにもいいでしょうね。
撮り溜めた思い出を全部プリントして老後に鑑賞したい。

夕暮れの新宿、ビルの植え込みに咲いていた薄紅色の八重咲き山茶花。
非常にしっとりねっとりしたエロい描写です。
スローシャッター時に手持ちでブラさないよう撮る際の気合いって、不思議と写真に写るような気がします。
それを感じるのは撮った本人だけかな。


すっかり夜だ。

2個目のバッテリー表示も赤くなりました。そろそろ今回のさんぽも終わりにしましょうかね。

みんな大好ききぬた歯科。
ほんとどこでもお見かけしますが、一体どんだけ広告費払ってるんだろう。


夜空のグラデーションも素晴らしいですね。

というわけで日高屋でレバニラ定食を食べて帰ります。
長々とお付き合いありがとうございました。
今回使用したカメラ

SIGMA dp1 Quattro
すでに記事中にいろいろ書いちゃったんですが、このカメラはちょっとセンサーが特殊なカメラでして、色再現、豊かなトーンの優れた非常に素晴らしい写真データを得られるのと引き換えにシャッターを押す際に色々と気をつけなければいけない制約があるカメラなんです。センサーの技術的なお話は私詳しくないので避けますが、雑に言うとISO感度が100、頑張っても200くらいでないと、このカメラの恩恵が最大限で得られません。パンフォーカスにしてしっかり写すには昼間でも三脚を携える必要があったり、条件によっては撮影をあきらめたりと、無理なものは無理という割り切りと諦めが必要になります。
常用感度が6400だの12800だの言い出して、そのうちに感度設定なんて概念が消えていくんじゃなかろうかというこんな時代ですから、暗い環境であえてISO感度を100に設定して夕暮れに手持ちでブレないように精神を集中するなんて最近ではしてなかったわけです。
そういう制約が、まだ写真が今よりも不自由で制約が多かった頃の写真環境、私のアシスタント修行時代をなんとなく思い出させてくれました。
そういう制約(当時は制約とは思っていなかったけど)の中で学んできて今の自分があるわけで、当然そこには私の写真的原風景があるのですが、その頃の撮り方を思い出して撮るというのは私自身写真の原点に立ち返る貴重な時間になりました。
正直なところ、このカメラを返却し、普段自分が使っているカメラに戻ってみると、それらが出してくる画がしばらく受け入れられない状態が続くほどにこのdp1 Quattroが生み出してくれる画は素晴らしいと思います。
前述したように用途と言いますか、撮影方法がいささか限られますので、今の時代のカメラで当たり前になっているいろいろな意味での万能さを味わってしまうとこれ一台のみを持ち歩くとなるとなかなか辛いことは確かにあるのですが、これ一台での撮影に望む際の割り切りと気合いと共に進むうちに、いつか必ずや使用者珠玉の1枚を生み出してくれると思います。
例えばこれまで中判大判などで撮っていたような節目になる大事な記念写真や建築写真、民藝品や芸術作品、高度な技術を要した工業製品、植物や動物など自然に存在するもの、その他いろいろその時の空気感や細かいディティールを写真として残しておきたいときなど、しっかりとこのカメラはマッチしてくれると思います。風景写真などは晴天曇天に関わらずその日その時の状況を可能な限り正確に写してくれるでしょう。今回の記事中のようなスナップ写真であっても写真自体の奥行きが感じられるので、相応の状況であれば確率は低いながらもとても魅力的な写真が撮れるはずです。
もしかすると写真が写真家の手を離れ、写真として独立して永劫に光を放つ存在となる事に最も近づけることができるデジタルカメラかもしれません。
基本的な写真の技術を持っている、または持ちたいと思っている方は一度使ってみていただきたいです。
あ、でもそういえば長時間露光で試してないです。すみません。
このセンサーに対して現状お金を落としていない私が言うのは大変烏滸がましいのは承知の上ですが、このセンサー、開発を止めずに進化してほしいです。
素晴らしいカメラでした。
ありがとうございました。
あとがき

こちら、実家の軒先に置いてある南天の鉢に風に乗って飛来してきて咲いてくれたナデシコです。
相澤義和さん連載コラム『東京さんぽみち』バックナンバー
















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