モノクロフィルム写真を中心とした叙情的な作風で、映画・音楽・ファッションなどカルチャーシーンからも支持を集める、写真家・木村和平さん。
現在は、東京・飯田橋のギャラリー『Roll』にて、写真展『石と桃』を開催中です。

今回のインタビュー・前編では、写真を始めたきっかけから近年の活動、自身の変化まで、これまでのキャリアにおけるターニングポイントを振り返っていただきました。
ローカルWebマガジンで繋がる縁。

ー本日はよろしくお願いいたします。いきなり余談になってしまうんですけど、今回改めて、木村さんの過去のインタビューなどWeb記事を読み漁ってきたつもりなのですが、『Concent(コンセント)』を担当されていたことに驚きました。
木村さん:懐かしいですね。今も見れるんですか?
ー見れました。所々リンク切れになっちゃってる画像とかはあったんですけど。実は、僕、当時高円寺に住んでまして。
木村さん:そうでしたか。じゃあ、当時はConcentをご存知でしたか?
ーはい。もちろん存じ上げていました。その中でも、『杉並区高円女三丁目』が大好きで。その『杉並区高円女三丁目』を木村さんが担当されていたことを先週知って(笑)不思議な縁を感じています。
木村さん:そうなんですね。何というか、もう幻のような存在になっちゃいましたけど。あれが実は自分のルーツなんですよ。当時の編集長には散々お世話になりました。Concentが全てのきっかけで、仕事が始まっていたので。
ー初めての案件がConcentだったということでしょうか?
木村:はい。当時は一時期話題になって、表向きというか、テーマは高円寺のカルチャーマガジンなんですけど、1つひとつの企画がなかなか尖っていて、当時ああいうメディアって意外と少なかったんじゃないですかね。ライター陣もいい人が集まってたりして、面白いメディアだったなって。
ー圧倒的にクールでした。町内会のWebサイトやフリーペーパーというレベルではなかったと記憶しています。
木村:そうですよね。でも、やっぱり途中から資金面とか、ちゃんとお金を集めなきゃ!みたいになって、段々と当初の面白さが薄れていったように感じてしまって、結果的に僕は離れちゃったんですけど。編集長のサカイさんという方に急に呼ばれて、最初は『何か連載をやってくれない?』っていうオファーだったんですけど、そこから『連載だけじゃなく、一緒に運営をやらない?』という話になって。一瞬だけ、企画とか編集に携わらせてもらいました。ただ、途中で「やっぱり僕、写真やりたいです。写真だけやっていたいです」と伝えて、いわゆる中の人からは外れて、連載(杉並区高円女三丁目)に専念していました。
ーなるほど。そんな裏話があったんですね。『杉並区高円女三丁目』は、本当に高円寺に住んでいる女の子を撮影されてたんですか?
木村さん:最初の数回は本当に高円寺に住んでる人とか、『高円寺が実家です』っていう人を集めてたんですけど、やっぱり序盤で「それでは続けられないな」となって、それからはシンプルに高円寺でポートレートを撮る形式に切り替えていました。それこそ最初の方は、僕が単純に当時撮りたかった人や、元から繋がりがあった人を撮らせてもらってたんですけど。徐々に『この人を撮ってくれない?』という依頼も入ってきて、複雑な気持ちもありました……(笑)
ーそれは商業的なものが背景にあったんでしょうか。
木村さん:そうですね。単純に、もっと影響力がある人を撮ろう、とか。もちろん今だったらすごく理解できるんですけど、当時の僕はその辺りのことをよく分かってなかったから、「なんだか思っていたのと違う…」みたいな葛藤がありました。
でも、本当に自分にとって初めての写真のお仕事がConcentなんですよ。Concentを見てくれた雑誌媒体の編集者の方が連絡をくれて、それから仕事になっていったので、もしConcentがなかったら、今みたいに続けていなかったかもしれません。最初のきっかけをくれた編集長には、とても感謝しています。
ーなるほど。木村さんはこの当時、高円寺に何かルーツがあったんですか?
木村:住んでいたわけではないんですけど、当時から古着が好きで、高円寺の古着屋でほとんど服を買っていたので、高円寺は“よく行く街”でした。
ー今までの写真家人生としての足跡を振り返って、何個かターニングポイントを挙げるとしたら。Concentはその1つに含まれますか?
木村:はい。最初のターニングポイントですかね。本当の意味での一番最初は、初めてカメラを手にしてちょっと経った時に、当時原宿で遊びほうけてたんですけど、その時に出会った、役者志望やモデル志望の友人たちを撮らせてもらったことかもしれないです。そこで撮った写真をインターネットにアップして、それをConcentの編集長が見つけてくれて、誘ってくれた。だから、最初の最初は、役者・モデルの卵たちとの交流が1つ大きなきっかけになってて…そこからConcentの活動がきっかけになって、さらに色々な仕事をいただくようになりましたね。
原体験は、ファッションスナップ。
ーでは、さらに時間を遡って、カメラを始めた経緯を教えていただけないでしょうか。
木村さん:地元・福島の『いわき駅』の中の本屋さんに、何故か絶対にTUNEとFRUITSが置いてあって。高校生の時から毎号見ていて、「いいな」って思う人がいたら雑誌を購入する、ということをやってたんです。それで自分もファッションに興味を持ち始めました。
ちょうどその頃は初期のSNSが流行っていて、なんとなくネット上に友達が居る状態だったんです。それで、今でいうオフ会みたいな感じで、週末に東京へ遊びに行った時に何人かと会ったりするんですよ。今はどうかわかんないですけど、当時の原宿って、ローソン前にいると、友達が友達を呼んで、何かの集合体になっていくみたいな雰囲気があって。それが僕は当時すごく好きで、その中で自然に出会って仲良くなって……順序としては、その後に僕が写真を始めたので、自分が何を撮りたいのかも全然分からない状態の時に、「何となく人を撮ってみたいな」と思っていたら、その方達も『撮ってほしい』みたいな感じだったので、たまに遊びながら撮って、という始まり方ですかね。今思い返してみると、かなり運が良かったなというか、当時撮らせてもらった人たちには、本当にありがたいなと思っています。
ー過去のインタビュー記事には、ファッションスナップを撮影するカメラマンにも影響を受けた、という内容が記載されていました。
木村:そうですね。毎日のように大学の授業を終えて原宿に行くと絶対いるんです。それで、会うたびに少し話して、たまに自分も撮ってもらったりして、というのを繰り返していくうちに、だんだんと何だか自分も写真がやりたくなって。普段ファッションスナップを撮っている彼らがかっこよかっただけだと思うんですけど。いわゆるカメラの超初歩的な使い方や、レンズは何が良いか?などは全部彼らが教えてくれて、それで写真を始めましたね。
ーということは、一番最初はデジタルカメラを使用されていたんですか?
木村さん:そうです。一番最初はデジタルでした。当時仲の良かったカメラマンの1人に、型落ちのAPS-C機をすごく安く譲ってもらって、それに当時は9000円ぐらいで買えた50mmの単焦点レンズを着けていました。APS-Cだと焦点距離が伸びちゃう理屈も分かってなかったですし、何も分かんないまま、なんとなく撮ってて、という始まりだったと思います。
ー木村さんといえばフィルムのイメージが強かったのですが、始まりはデジタルだったんですね。
木村さん:はい。でも、ほぼ同時期に、周りにフィルム写真を撮ってる人がいて、「フィルムって何だか良さそう」と思ってからしばらくの間は、CONTAX T2だけで撮るようになりました。それから色々なカメラを買ってみる、みたいな流れだったと思います。もう10年くらい前の話ですね。
ターニングポイントになった、『愛がなんだ』。
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ーConcent以後は、どんな出来事がターニングポイントになりましたか?
木村さん:映画『愛がなんだ』でしょうか。この作品のスチールを担当させてもらったことで、おそらく映画業界の人たちに知ってもらえて、映画のお仕事が増えました。
ー『愛がなんだ』、僕も劇場で鑑賞しました。あのメインビジュアルは、本編で上映されていないシーンのものですよね?
木村さん:ありがとうございます。そう、ないんですよ。でも、本来は元々脚本にあったシーンで。(監督の)今泉さんも撮影自体はしていて。あれは、主演の2人が結婚式の二次会で出会って、飲んで酔っぱらっておんぶして帰る、初めて会った日の帰り道なんですよ。僕は脚本を読んだ時から、そのおんぶの描写があったので、「何となく、このシーンはスチール撮りたいな」って思ってて。実際に、その場に立ち会ったらすごく良くて。しかも、それが撮影初日だったんです。初日にあれが撮れちゃったから、「もうあれ以上は撮れる気がしない」と思いながら、その後の現場を過ごしてました(笑)
ー木村さんにも、いわゆる“下積み時代”なものはありましたか?
木村さん:いわゆる「何でもやってみた」時期も経験しました。初めての商業誌は女性誌だったんですけど。Concentの連載を見た編集者の方から、初めて雑誌のお仕事をいただけたんです。当時、大学3年生だったかな。ちょうど就職するのか?しないのか?みたいな時期で。当然、最初からいっぱい仕事をもらえるわけではなかったんですけど、その方が気にかけてくれて、ちょこちょこ仕事をくれるようになりました。それで、「(一般企業に)就職せず、写真でやってみよう」と決めて、色々な巡り合わせがあって、一通り色々なお仕事を経験させてもらいました。ファッションの割合は多かったと思いますけど、カット数の多いカタログ的なものもやったし……。
その中でも、要所要所で個人的にすごく記憶に残っている、重要だったなっていう仕事は幾つもあります。
商業写真で得た収入を、作品づくりに投資する。
ー最近のお仕事をジャンルで分けると、どのような割合になりますか?
木村さん:それこそ『愛がなんだ』以降の2、3年は、映画が7割ぐらいを占めていた気がします。もちろん仕事をいただけるのは嬉しいんですけど、映画の人になりたいわけでもないから、そこが自分の中では複雑でした。自分で言うことじゃないかもしれないですけど、若い男女のビジュアルをフィルムで撮って、手書きのタイトルを入れる、ということがちょっと流行っていたんじゃないかと思っています。それがだんだん落ち着いてきて、今はほとんど(映画の仕事を)やってないんです。今年はまだ1本も参加していないので、映画は1、2割ぐらい。その分、広告の割合が増えています。映画2割、広告3割……あと、ファッションと音楽、みたいな感じですかね。「このジャンルしかやらない!」と決めているわけではないので、とりあえず依頼がきたらやってみよう、やってみて考えよう、という気持ちではいます。とはいえ、全体の割合で言ったらずっとファッション関係の仕事が多いですね。
ーありがとうございます。広告とは具体的にはどんな案件を手掛けられたのでしょうか?
木村:広告をどう定義するか難しいですね。ファッションブランドのビジュアルも広告と呼べるかもしれませんが、自分が今ここで言う広告は、いわゆる企業のサービス宣伝とかキャンペーン告知などを目的とした広告写真ですね。僕は今までそういう繋がりを全く持っていなかったので、本当にここ数年の話ですね。いわゆる企業案件の広告を手掛けるようになったのは。
ーファッション・音楽・映画・など、いわゆるカルチャーに分類されるWORKSが印象的だったので、少々意外でした。
木村さん:そうですよね。色々なスタイルの方がいますけど、作品制作だけやって、普段は全く違うお仕事をして、『商業写真は絶対撮らない』って方もいますし、僕は正直それが一番健全だと思っています。それができたら、自分の作品をちゃんと守れるなって。だけど、僕は商業写真の仕事も楽しくて。色々な人と出会えるし、自分の能力も育っていくし。ただ、ずっと自分の作品も作り続けたいので、両方を均等にやることが理想ですね。
ーたしかに、MARSHで連載されている作家の中にもクライアントワークスとプライベートワークスをきっちり分けられている方がいらっしゃいます。
木村さん:作品に含んでいる自分のバックボーンや私生活のことを、当然仕事で撮る写真には持ち込めないので、結構脳みそを切り替えてるんですよ。商業写真の仕事と、作品制作。そう切り分けるようになってから、すごく健やかになったというか、仕事も制作も両立できるようになってきたのが、この3年ぐらいかな。
ー何かきっかけがあったのでしょうか?
木村さん:自分の作品にだんだん手応えを掴めてきたのが、その頃なのかな。たぶん「自分はこのやり方でしか作品を作れない!」の逆説で、商業写真の仕事にまで、自分の背景を持ち込まなくてもいいんじゃないかな、っていう風に考え始めたんですかね。もちろん、写真単体の画作りは別ですけど。
もちろん周りの作家には、『絶対に自分がやりたいことしかやらない』を貫いてる人もいるし、僕は彼らのことをすごく尊敬していて憧れているんですけど、「たぶん自分はそっちじゃないな」ってどこかで気付いたのかもしれません。単純に、作品をつくるのも、発表するのも、お金がかかるし。作品づくりに投資するお金は、写真のお仕事で得ると決めて活動しています。今後気が変わって、「またモヤシでも食べながら作品作ればいいや」みたいなモードになるかもしれないですけど。自分の作品づくりに金銭的な制限をかけたくない、作品のために必要ならば使えるだけ使いたいので、最近は色々やってみようと思っています。金銭面以外でも、結果的に良い気づきがあったり、新しい次の仕事に繋がったりすることもあるので。
ー良い気づき、にはたとえばどんなものがありましたか?
木村さん:これまでの自分のテリトリー内だけで仕事をやっていると、人間的にも近い人たちが増えていくんです。1言って10伝わる人たち、たとえば観てきた映画や聴いてきた音楽が近い人たちが、自然と増えていくんですよね。でも、広告の写真など全然ジャンルの違う企業の方とお仕事をすると、その共通言語みたいなものが急に通じなくなるんです。それは、今までたまたま恵まれていただけで。もちろん苦労することもあるんですけど、めちゃくちゃ面白いなと思って。自分と気が合う人とだけ仕事をしてるよりも、普段接しない人たちと会うのが結構面白いかも、と感じています。単純に求められる写真も全然違いますし、「意外と自分もこういう写真撮れるんだ!」という発見がありました。
ー撮影手法や表現の幅が広がった、と感じることもありますか?
木村さん:はい。あると思います。たとえば、小さいものを撮る際のマクロレンズや、これまで全然使ってなかった機材や手法を、結果的に作品に取り入れ始めることがあるので。自分だけじゃ思いつかないことを与えてくれたりするんです。「これやってみませんか?」「木村さん、今までこういうの撮っていないと思うんですけど、撮ってみたら面白い気がするんすよね」みたいに依頼してくれたりして。実際にやってみて「やっぱり無理!」ってなることもあるんですけど、割と高確率で、自分の作品作りの道が開けたな、みたいなことがあったりするんです。それこそ『石と桃』で、いわゆる物撮りが増えてきたことも、仕事でやってみたことが、結果的に作品へ反映されてる気がします。
ーこれまでの“お仕事”で、実際に物撮りのお仕事もあったんですか。
木村さん:はい。ちょこちょこやってます。
ー今回のインタビューを通じて、木村さんに対するイメージが柔らかくなったというか、大分印象が変わりました。
木村さん:たぶん活動を始めた時期はもっと尖ってたんですよね。なんか自分を守るのに必死だったと思います。高校生ぐらいまでは、すごく消極的な人間だったし。「分かり合える人なんかいるはずがない!」と思って思春期を過ごしていました。でも、たぶん写真を始めてから、ある種のチューニングをしないと生きていけない気がしたというか。今は全然ジャンルの違う方ともある程度楽しく喋れるし、きっと人に興味が出てきたんだろうな、という気はします。
Interviewee:木村 和平(きむら・かずへい)

1993年、福島県いわき市生まれ。東京在住。ファッションや映画、広告の分野で活動しながら、作品制作を続けている。第19回写真1_WALLで審査員奨励賞(姫野希美選)、IMA next #6「Black&White」でグランプリを受賞。主な個展に、2022,23,24年「石と桃」(Roll)、2020年「あたらしい窓」(BOOK AND SONS)、主な写真集に、『袖幕』『灯台』(共にaptp)、『あたらしい窓』(赤々舎)など。




