「生きるという言葉は眩しく、死なないほうが自分には合ってる」
2024年2月8日。Instagramのキャプションにこのような文章を書いた。嘘偽りなく、今もそう思っている。
言葉の解釈は難しく、このキャプションに対してInstagramで「(前略)ともに生きましょう。」というメッセージをいただいた。このメッセージを送っていただいた方は何も悪くないのだが、「生きる」とか「生きましょう」という言葉は僕にとってツラいものである。

死なないも結局は生きているので結果として”生きる”と”死なない”は同じなのだが、生きるは希望や前を向いている感じがして苦手なのだ。死なないは踏ん張っている感じ。そっちのほうが自分には合っている。生きることはできないけれど、死なないことだったらなんとかできる。

日本は島国なので海外の方から日本人は内向的だとかネガティブに考える人が多いという意見を目にすることがある。要するに逆に考えたほうが良いと言われるわけだが……、でも、でもだ。いつも思うのだけど、そんなに悪いことなのだろうか。

僕が思うに人生はそんなに多くの人と仲良くならなくても良いと思っている。時間は限られているし、むしろ会いたい人に会える時間を残しておくほうが大切じゃないだろうか。

僕は暇な時間を作ることを意識してやっている。つい最近も昔やっていたゲームのアプリを再ダウンロードしてプレイしてみた。単純にやりたかったというのもあるが、暇を潰したかったという理由で始めた。

数時間やってみて、楽しくてまたハマっちゃいそうだったので、アプリごと消去した。できればYouTubeも削除したいのだけど、料理動画を見ることやインプットで視聴することがあるため、こればっかりは消すことができない。
とくに料理の動画は大切だ。料理をする時間があるときは心が豊かで、料理をする時間がないときは荒ぶっていることが多いから。

電車に乗っているときもスマートフォンを見ずに、ただ、ぼーっと流れていく景色を見る時間があるぐらいのほうがちょうど良い。そういう時間が無くなり始めると、いかに暇な時間を作れるか、考えるようにする。

コーヒーを淹れる、お香を焚く、空を眺める。
写真を撮っているから当たり前なのだけど、写真集を見るのが大好きだ。自分の手の中だけで完結する感覚。だけど、世界は広い。

写真は対話ができる。
「どうしてここで撮ろうと思ったんだろう」
「あそこに写っているものは何なのかな」
「これはどれぐらいの時間帯で撮られたものなんだろう」
鑑賞しながら、その場の雰囲気を想像する。でも、自分自身も写真を撮っているからわかるけれど、現場は意外とドライで、淡々と物事が進むことも珍しくない。でも、尊敬している方に言われた言葉が今でも頭のなかに残っている。
“仮にそのイベントが人が少なくて、あまり盛り上がっていなかったとしても、写真のなかでだけは良いイベントだったという雰囲気を残してあげたい”

生きることはできないけれど、死なないことはできる。だからと言って写真の雰囲気まで暗くする必要はない。昔の自分は現実に見えるものをそのまま写そうとしていた。今は、ほんの少しだけ希望を持てるようになった気がする。あくまで写真のなかだけだが、夢を見れたらいいなと思う。

model:文目ゆかり
■X(旧Twitter):@yukari_ayame
今回使用したカメラ・レンズ
PENTAX APS-Cフラッグシップ & Limitedズームセット K-3 Mark III ボディ [ブラック] + HD PENTAX-DA 20-40mmF2.8-4ED Limited DC WR [ブラック]

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