髙橋頌の欧州バレー挑戦記【第5回:バレーボール人生の「今まで」と「これから」】

  • 2021.10.27
  • 2026.08.28
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小学1年からバレーボールをスタート

もともと小さい頃から球技スポーツが好きで、小さい頃には少しでも暇があればボールを触って遊んでいました。

家族もバレーボールをやっていた影響もあり、幼稚園くらいからバレーボールに興味を持って、小学校1年生から地元のジュニアに入団します。

もちろんコーチに怒られる事もたくさんありましたが、バレーボールが大好きでひたすら夢中になりボールを追いかけていました。

今でも覚えていますが、小学校3年生くらいの頃、身体は小さいながらも「顔面でもなんでも拾ってやる!」と言わんばかりの気持ちでプレーしていました。笑

とにかく負けず嫌いな性格だったため、身長とか学年とか関係なく誰にも負けたくないって気持ちが誰よりも強かったと思います。

自分が最上級生の時は、大会でそこまで上に行く事も出来ませんでしたが、2個上の学年が強かったため全国大会へ何回も連れてってもらい、全国には凄い選手がたくさんいるんだな、とワクワクしていたのを覚えてます。

ちなみに、小学校ではスパイカーとして自分でレシーブを拾って打ったりしてました。

中学時代

今は使われていない線路。

今までの自分のバレーボール人生の中で一番尊敬出来る人と言っても過言ではないです。

あの頃は、その一個上の先輩のレシーブの仕方、スパイクの打ち方、プレースタイル、色んなものを吸収して真似していました。

試合中のここぞという時の冷静さや、バレーボールの醍醐味である「駆け引き」の部分など見習うところがたくさんありました。

中学1.2年生では、リベロとしてプレーしていました。

その中で一番思い出に残ってるのが、中学2年生の全国大会です。

途中までは順調に勝ち進んでいましたが、全国準優勝になった九州の中学校と対戦して負けてしまいました。

かなり緊張していましたが、いつも以上に楽しんでいたのを覚えています。結果は負けてしまいましたが。

中学2年生までリベロとしてプレーしていて、中学3年生にはセッター兼レフトへ転向したりもしていました。

セッター兼レフトと言っても、前衛の時はレフトでレシーブしてからスパイクに入る、後衛の時はセッターに回る、といった感じです。

そして今だから言える話ですが、3年生の時にスパイカーとしてJOCに呼ばれていましたが、いろいろ理由があり断りました。

理由が言えませんが、断ったのは今でも後悔していません。

というのもあり、中学校時代はリベロ、セッター、スパイカーと色々とやらせてもらってたというのもありましたし、先輩方が強かったおかげで全国大会など色んな景色を見られたのはいい思い出だなと思っています。

高校時代

赤い屋根が続く住宅街。

高校1、2年生まではスパイカーとしてレフトやライトでプレーしていました。

スパイクはもちろんですが、チーム内の役目としては守備をメインにやるためにもスパイカーとして入っていたと思います。

そんな最中、自分のバレー人生で一番と言っていいほどの事件が起きました。

高校2年生の関東私学の時の話です。

世代で最強と言われていた東洋高校との試合に、スパイカーとして出場していました。

今でも鮮明に覚えているのですが、コンディションもかなり良くて、いつもよりジャンプも出来ていました。

セットも終盤に差し掛かり、ここで一点決めたら…という場面で自分にトスが上がってきました。

スパイクを打つ直前にも、相手のブロックやコートを冷静に見れる余裕もあり、少し打つのを溜めて相手の裏をかこうと考えていました。

そこで、ストレートに打つと見せかけあえてクロスに打とうとした結果、相手ブロッカーに止められてしまいました。

ブロックされたボールが自分の足元に来て、「これは足で上がる!」って思いながら着地。

その着地と同時にガクンって崩れ落ちました。

最初何が起きたのか自分でも分からなかったのですが、数秒してから膝に激痛と、全く力が入らない感覚がありました。

ただセットも終盤に差し掛かっていたのもあり、アドレナリンもかなり出ていて、そのまま無理をして試合を続行していました。

結果として、セットは落とし負けてしまったのですが、試合終わった瞬間歩けないほどの激痛でした。

後日、病院に行き診てもらったら、左後十字靭帯を伸ばしてしまったと伝えられました。

靭帯断裂してなかったのが、不幸中の幸いです。

そこから約半年くらいリハビリをしました。

その間、ボールは触っていたものの、軽く走ったりジャンプしようとすると激痛が走っていたのがもどかしかったです。

今までのバレーボール人生で一番の怪我ですね。

現在は痛みは一切無いし、違和感すらも感じないのですが、リハビリ中は痛みを耐えながら筋トレしたりと苦しい時期でした。

その後、なんとか動けるようになってその後のインターハイ、国体などを出場していました。

当時は、まだ自分の思うようなプレーが出来ていませんでしたが、大好きなバレーボールを再び出来るというのがすごく嬉しかったです。

大学〜Vリーグ時代

木から覗く山の景色。

高校も卒業し、大学も埼玉のところに進みました。

本来なら違う大学に進む考えもありましたが、いろいろ検討した結果この選択をしました。

有難いことに、大学在学中にVリーグでプレーさせていただいたりもしました。

卒業後は、そのままの流れで在籍していたVリーグのチームに所属することになりました。

大学卒業してから約2年Vリーグでしていたのですが、その間もずっと「レベル高いところでプレーしたい、このままではダメだ」ともどかしい気持ちと毎日葛藤していました。

このまんま後悔するくらいだったら、自分の人生をかけて挑戦しよう。

そう思い、日本のVリーグではなく海外に目を向け、挑戦を始めました。

海外挑戦スタート

街(クラグイェバツ)を一望出来る高い場所。

2019年4月、海外挑戦を開始しました。

それまで、Vリーグのチームに所属しプレーしながら、普通の会社員と変わらず病院で平日や当直もしたりしていました。

同じ職場の人達には、練習で残業とか出来なく仕事が進まない部分もたくさん迷惑をかけていました。

しかし、海外挑戦をすると決断した時には上司、同期などたくさんの方々が応援して下さり、本当に感謝しかありませんでした。

そうして4月に仕事の引き継ぎなど済ませて退職し、ヨーロッパで上を目指すため行動を開始します。

そこからは本当に平坦な道ではありまさんでした。

元々は退職する段階でとあるヨーロッパのクラブとほぼプロ契約も完了していて契約書などもサインしたのですが、すべて白紙に戻されてしまったり。

ポーランドのクラブとプロ契約出来たと思ったら、コロナの影響もあって試合はすべて中止になったりと。

まさかここまで試練?を与えられるとは思っていませんでしたし、どちらかと言えばポジティブの自分でもさすがに落ち込んでいました。

もちろん厳しいと分かっていて決めた道ですし、覚悟を決め海外挑戦を決意しました。

そのため悩んでいたってしょうがないし、今やれる事をやるしかない。

どうせどん底へ落ちていくのなら、それは自分にとって目標に向かうための「過程」であって、楽しまないと勿体ない。

自分の人生をかけて、ヨーロッパで上を目指すと覚悟したので、立ち止まっている暇もない。

今やれる事をやるしかない。

ということで、目標のためにどうすればいいのか、コントロールできる部分に目を向けることにしました。

それでも海外でプレーしていた時には、ここが自分にとって本気でバレーボールに向き合える「居場所」だと感じました。

今まで幼稚園くらいの頃からバレーボールが好きで続けてきて、怪我しようが誰から反対されようが自分の「好き」という気持ちだけでここまで来て。

もちろんあのままVリーグのチームにいて現役引退なんて考えていませんでしたし、早かれ遅かれレベル高い場所でもう一度本気でバレーボールに向き合っていきたい、と思っていました。

だからこそ中途半端な挑戦じゃ自分にも納得いかなかったですし、もっと厳しい世界で戦っていきたいという強い気持ちがありました。

バレーボール人生の「これから」

今までバレーボールを続けてきて、こうして本気で挑戦しようと思える「居場所」というのを見つけられて、挑戦出来ているのは本当に沢山の方の支えや応援のおかげです。

ヨーロッパで上を目指していくため、常にアンテナを張りながら、たくさんの事を吸収していきます。

そして、様々な挑戦をして失敗して学んで、試行錯誤していきながら前に進んでいきたいと思います。

今まで遠回りしてきたのも、今こうして海外挑戦に対して本気で向き合うための期間だったのかなと、今では思えるようになってきました。

現在もセルビアで練習やトレーニングをするため滞在しています。

ヨーロッパで上を目指すため、まだまだ厳しい状況が続きますが、本気でバレーボールが「好き」という強い気持ちがあれば、必ずそこで結果を残せると信じてます。

バレーボール人生の「これから」の部分についても、海外初挑戦から行動し続けている気持ちを大切に、”自分なり”のバレーボール選手としての在り方を模索していきながら、ヨーロッパで上を目指すために進んでいきたいと思います。

それでは、また。

髙橋頌さんが使用しているカメラ

"カメラのサブスク"GOOPASSを手がけるGOOPASS株式会社は、欧州に海外挑戦する髙橋頌さんをサプライヤーとしてバックアップしています。本記事内で使用している写真は、実際に髙橋頌さんが撮影したものです。

GOOPASS SPORTS MAGAZINEは、GOOPASSで取り扱っているカメラなど撮影機材をレンタルし、YouTube動画やTwitter・InstagramなどSNSの投稿をはじめとする、メディアを通じたセルフプロデュースをサポートします。

FUJIFILM X100V

X100Vは、FUJIFILM(富士フイルム)の人気コンパクトデジタルカメラシリーズ・X100シリーズの最新モデルです。コートのポケットにすっぽり収まる428gの軽量・コンパクトなボディに、FUJIFILMの最新技術が惜しみなく詰め込まれています。その1つが、フィルムシミュレーション。FUJIFILM独自の画像設計技術により、撮影したデジタル写真を、LightroomやPhotoshopなどの編集・加工ソフトを使うことなく、フィルム写真のように仕上げることができる機能です。フィルターの数は、前モデル「X100F」から2種類増えた全17種類。Velvia・PROVIA・ACROSなど、世界中で愛されているフィルム写真のような世界観を再現できます。カメラ本体と一体になったレンズには、F2の23mm単焦点レンズをセレクト。主戦場となるストリートスナップはもちろん、ボケを活かしたポートレート撮影など、幅広いシーンで活躍が期待できる1台です。

カラーバリエーションはシルバーとブラックの2色です。

FUJIFILM X100Vのスペック

製品名FUJIFILM X100V
タイプコンデジ
撮像素子23.5mm×15.6mm(APS-C)、X-Trans CMOS 4(裏面照射型)
画素数/動画サイズ2610万画素
焦点距離35mm
開放F値F2
最短撮影距離10cm(標準)
デジタルズームクロップのみ
常用感度ISO160~12800(通常)/ISO80、100、125、25600、51200(拡張)
シャッター速度1/32000~4秒
本体の重さ428g

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■購入する場合は、136,500円(税込)(2021/2/1現在 カカクコム調べ)となっているようです。
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髙橋頌

埼玉県さいたま市出身の28歳。欧州を中心に活動しているプロバレーボール選手。ポジションはリベロ。春日部共栄高校、大東文化大学を経て埼玉アザレア(V2リーグ)でプレーする。その後、2019-2020シーズンからプロバレーボール選手として海外挑戦をスタートさせた。モンゴル、ブルガリア、ポーランド、フィンランドと日本を含めて5ヶ国を経験。 今年2023-24シーズンは、世界最高峰リーグの一つポーランド1部リーグ『Plus liga』で奮闘中。欧州バレー挑戦記にて海外挑戦の日々を綴っていきます。

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